経済活動で合理性の成り立たない領域が存在する
ある条件のもとでの人々の行動は社会的に善なる結果を 生み出すということを理論化する学説が
古典的経済学では主流でした。
つまり、人々のある種の行動が一定の結 果を生み出すと主張しました
これに対して
人々の行動がどのような結果 をもたらすかは不確実である
とする主張も出てきました。
いい結果を予測して、その為に回らされた計画であっても
誰も責任を負えない
のです。
この2つの主張が人間の自由な行為がどこに向かうのかを
端的に表しています。
そして、不確実性という言葉によって
この主張は調和していくのです。
竹森俊平さんはフランク・ナイトさんの不確実性について
詳しく説明してくれています。
不確実性には二つのタイプがあり、二つのタイプのうち第一のタイプは、それが起こる可能性についての「確率分布」を思い描けるものだ。ナイトはこれを「リスク」と呼ぶ。他方で第二のタイプは、それが起こる「確率分布」を思い描けないものである。ナイトはこれを「真の不確実性」もしくは「不確実性」という。
「サイコロの目」、「自動車事故」は、確率分布を想定できる事象である。そのようなタイプの不確実性が「リスク」である。不確実性が「リスク」であるためには、「確率分布」について理論的な推測が可能か、類似した現象が過去に数多く発生しており、データからの統計的推測が可能でなければならない。
「企業家」という特別なタイプの人種のもっとも本質的な行動は何かといえば、「新しいこと」への挑戦である。「新しいこと」、過去に類例がないことに企業家は挑戦する。「不確実性」と真正面から対決するのである。そして「不確実性」に対決する報酬として、企業家は「利潤」を手に入れる。
しかし、「不確実性」の領域で企業家が取る行動は、必ず成功の当てがあるものではない。そもそも必ず成功の当てがあるようなものは、「不確実性」とは言わない。したがって企業家は成功することもあれば、失敗することもある。
考えてみれば、もともとビジネスの成果を過大に見積もる楽観的な性格の者が、企業家という商売を選ぶのだ。
「真の不確実性」を前にして自分の幸運を信じ込み、あえて挑戦するという心理傾向は、「バブル」という経済現象にも見出せる。ここでも過剰な楽観主義が働いている。
ナイトは、経済行動の「合理性」を基本的には認める。人間は「合理的」な計算が成り立つような状況では、「合理的」に振る舞うと考えるのである。しかし他方で、「合理性」がもともと成り立ちえない領域、すなわち客観的な確率の計算のできない「不確実性」の領域の存在を彼は重視する。われわれの世界は「不確実性」によって包囲されており、その「合理性」の成り立たない領域における人間の行動は「合理的」でありえない。そこでは、「強気」または「弱気」の心理が人間の行動を支配する。