copywriter-住職’s blog

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コピーライティングが平和のためにできること

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コピーライティングが平和のためにできること
 
ペンは剣よりも強しという言葉をご存知と思いますが、
ペンは非暴力を指すように考えられるのは実は誤解です。
ペンは権力を表します。
ですから、暴力は秩序だった力には及ばないという意味なのです
 
 
カントは1975年に著した恒久平和のためにの中でこう言っています
恒久平和を保証する要因の一つに、商業精神がある
 
経済の相互依存の進展は、世界システムに紛争をもたらすのか
それとも紛争を少なくする方向に働き、平和の可能性を高めるのか
18世紀19世紀で盛んになった議論です
一方で古くは君主制において重農主義重商主義が問われたときにも、
この議論にも萌芽が見られます。
面白いことに、その時は結論が逆だったんですね
重商主義が戦争を加速すると言われた時代と違うのは
その政体が民主共和制である点です。
 
商業精神は、戦争とは両立できないが、遅かれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのは、
この商業精神である。
つまり国家権力の下にあるあらゆる力、手段の中で、
金力こそは最も信頼できる力であろうから
そこで諸国家は自分自身がもとより道徳性の動機によるのではないが、
高貴な平和を促進するように強いられ、
また世界のどこででも戦争が勃発する恐れがあるときには、
あたかもそのために恒久的な連合が結ばれているかのように、
調停によって戦争を防止するように強いられている、
と考えるのである。
 
今日の経済問題を一言で言えば、
商業の精神そのものが新たな商品として提示された
18世紀と19世紀の政体と
既に商業の精神が非教育的態度として誤認されている実情から生まれています。
 
民主政体を維持するためにどれだけの努力がされてきたのか
その鍵の概念として現れた商業の精神を語る上で大切なことは
「中庸の平等」を得ることです。
中庸の平等があって初めて政治的な徳が生まれます
政治的な徳とは共和政への愛であり
その共和政への愛とは民主制への愛であり
民主制への愛とは平等への愛であり、質素への愛のことである
産業資本主義へ移行した後、若しくはそれ以前の専制政治とは一線を画す議論です。

質素, 倹約, 節度, 労働, 賢明, 平穏, 秩序および規則の精神

では、コピーライティングは

そのようなノスタルジーへの調整機能として働くのかと言われれば

その答えでは面白くありません。

今日的テーマは、商業の精神ではなく

精神の商業と言えるでしょう。

今日の商行為がどれだけドラマチックに語られたとしても、

商業そのものに再び質素、倹約、節度、労働、賢明、平穏な、秩序、規則を読み込むことは

逆に専制的な力を強め、諸精神の混同を生むという

理解の道を示すことこそ

コピーライティングに求められていることだと

僕は考えています。

ではどうしたらいいのか

その答えはレジームという考え方にこそあります

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今日もお読みいただきありがとうございます