copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

東京で学んだこと

アウトプットの日です

今回東京に2泊3日で出かけて
7つのコミュニティーに触れる機会をいただきました
ASEANに日本人のビジネスチームを作りたいコミュニティー
日本で外国人の就労サポートをビジネスとして展開していくコミュニティー
治療を教育ビジネスとして展開していきたいコミュニティー
新しい仕事と生き方を模索するデザイナーのコミュニティー
歴史を学んで人生や日本の存在意義を確認するコミュニティー
仮想通貨やオーガニックなど新しいマーケットを取り入れるコミュニティー
日本の医療革命の中心となろうとする治療家のコミュニティー
美術評論家と彼の元に集う様々な分野のアーティストのコミュニティー
あ、8つでした

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他にも
マーケッターのコミュニティー
伝統産業の普及に尽力しているコミュニティー
学者のコミュニティー
技術者のコミュニテイー
など、短い滞在期間でみても、東京23区で準備されている
イベント、オファー、学習会そのものは沢山ありました。

 

音声はこちらからご視聴ください↓

どこでもマネジメントされているのは人間であり
そこに集う人の成長であり
共に生き合う社会の提案と外部との信頼関係をどうやって作るかという問題について
語り合われていました。

どこのコミュニティーにお伺いしても、
暖かく迎え入れてもらえました
そして、札幌から来ました!というと
よく来たね!って言ってくれました。
ゲストということで、多少ちやほやしてもらえました。

なんか、ちやほやされるのは良いものですね。
人の関心や、労りや、期待
そんな感情を受け取るのは、とても気分がいいです。

そんなコミュニティーという姿を外から眺めながら
自分の中に気づきがありました。

歓迎されないコミュニティーは居心地が悪く
歓迎されているコミュニティーは居心地が良い

これは当たり前と思われるでしょうけど
こう書いてみたらどうでしょうか

歓迎されていないと自分が思っているコミュニティーは居心地が悪く
歓迎されていると自分が思っているコミュニティーは居心地が良い

訪問される方にしても
たまたま短時間で、お互いのこともよく知らずに
わざわざ価値を感じて来てくれた
ということだけで、
そのコミュニテイーは全肯定されています
その肯定感がお互いの居心地の良さを作り上げます

また訪問する方では
自分の知りたいこと、学びたいこと
共有したいこと、実践している人たちへのリスペクトから
自然と自分の様々な思いや鬱屈が伸びやかに引き出されていく感情に浸ります

それは旅という位置関係から生まれる感覚ですが
結局のところ、どちらもアイデンティティーがそのコミュニティーの居心地の良さを決定している
ということです。

自分が歓迎されていると思っていない、もしくは思えないのは、
関係性がうまくいっていない、つまりコミュニケーション不足が原因です
そしてそのコミュニケーション不足を生み出しているのは、自分自身のアイデンティティ
つまり、自分の自分自身に対するコミュニケーション不足です。

居心地の居場所、悪い居場所があるのではなく
居心地の良い場所か悪い場所かは自分が決定しています
歓迎されていると思えるかどうかです
相手の期待に応えようとし続けられる「関係機関」が働き続けるかどうかです。

それだけ私たちは、日常的にミスコミュニケーションをし続けているということです。

ですから、それぞれのコミュニティーが目指しているものも
外の世界とのコミュニケーションをどうやって構築できるか

コミュニティーそのものが、そんな旅を続けています

コミュニケーションには3つのパーツがあるといいます
発信者、受信者、そして情報そのもの
これら3つのパーツをどんどん摩擦を減らして
クォリティーを高めていくことで、コミュニケーションが進化していくという考えです。

運営の意義を明らかにして、そのメッセージを発信し、
どんな人に受け取ってもらえるかを考えながら受信者を受け入れる準備を整え、
情報そのものを多様化させていく

世界を自分の歓迎されているコミュニティーに変えていく拡張
それがコミュニケーションのモチベーションなんだなと
今回気づきがありました

歓迎されていないという居心地の悪さそのものが
ミスコミュニケーションから生まれているとしたら?
それは自分からコミュニティーに入っていかないアイデンティティーであり、
居心地の悪さを自分で作っているということになります。

無意識にやっているコミュニケーションが
知らず識らずにアイデンティティーを形成し
そして居心地の良さと悪さを、勝手に自分で生産している

そう気づくと、
自分のコミュニケーションを無意識のままに行わずに
しっかり見届けてあげようという責任感が育つのではないでしょうか

そしてそれが教育者の第一歩であり
コミュニティー運営の動機にして
最終目的であるもののように思います。

最終的に、我々はコミュニケーションを自ら規定し
その中で生きて行くものであるからこそ
教育とは最強のスキルなのかもしれません。

今日もお読みいただきありがとうございます

 

仙人さん最後のビジネスモデル