copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

第1話そして悩み

今日は私の悩みを書きます

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自立

x-buddha第1話を学ぶことで
感じている疑問点や悩みについてシェアします。

私のようなちっぽけな存在の、ちっぽけな悩みでも
書きだしてさらけ出すことで
誰かの気づきを促したり
悩みを軽減したり、気分転換になったり
自分と向き合う勇気を与えられたら
その踏み台になれたらと思っています。

今日の悩みは
「僕なんかが教育者になれるんだろうか?」
という悩みです。

 

 
 
 

 

 

あなたは教育者と聞いて何を思い浮かべますか?
・いろいろなことを経験して、知っている
  
・頭がいい 

・社会貢献のビジョンがあり、信念がある 

・人のお手本になるような生き方をしている 

・お話しが上手 

・優しい 

・コミュニケーションが上手 

金八先生 

ヤンキー先生、あるいはGTO

・人から尊敬される背中


どれも無理です
ワイルドさもなければ、器の大きさもない
賢さもない。
そして何よりコミュニケーションが苦手です

「そもそもなんで教育者になりたいの?」
と聞かれても、
「教育者にならなければいけない気がする」
という答えが精一杯です


でも、そんな自分の頭の中でジリジリしている感情を掘り下げていくと
ふっと思いつくことがあるんです
教育者に憧れるというのは
「自分は嘘をついて地獄に落ちてもいい
と思えるくらいに相手に愛情を感じること」
なのかなと思います

「すべての人は愛されなければならない」

という人生の目的みたいなものが投げかけられている
それが
「教育者にならければいけない」

と僕の精神を苛み、胸を突き上げる
義務感とも勇気ともつかない感情の
正体なのかもしれません

教育者とはコミュニケーションマスターであり、
それ以上にコミュニケーション理解の限界を知る者である

そもそもコミュニケーションを理想視しすぎるのかな

コミュニケーションはミスの連続だと思えば
そのミスを埋めていくということにフォーカスして
上手にコミュニケーションしようと思わなくなる
かもしれませんね

うまく伝えようとするから結果に一喜一憂するんであって
伝わらないのが当たり前、分かり合えないのが当たり前
さてどう伝えよう
という考えです。

講義ではコミュニケーションには3つのパーツがあると言っていましt
一つにはメッセージを発する人 発信者
2つにはメッセージを受け取る人 受信者
そしてメッセージそのもの

これら3つの摩擦を減らしていき、
クオリティを上げていく
そういった努力をしながら
教育者になぜなりたいのか考えていきたいです。

仙人さん最後のビジネスモデル

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