copywriter-住職’s blog

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最後端を走る男

 
 

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解剖学者の養老孟司さんのエッセイを
ご紹介します。
「最後尾を走り続ける男の強み」
と題して、自分のやってきたことは
人と争わない研究であり、比較しないことであり
最先端のひとを称えながら、最後尾を選んで走ることだった
と語ります。
 
 
「私はある時から、自然科学の世界では最先端ではなく
最後端であろうと決心した。
というよりも、いつのまにか最後端になっていたのである
そもそも研究費がない。
そこで自分に興味があって可能なこと
それを素直にやっていたらそうなった
解剖学
とくに肉眼解剖学や比較解剖学という分野は
近代的な道具をほとんど何も使わない
 
ゆえに研究費がかからない
それにくわえて解剖学とは何かという問題を考え始めた。
これにも一文もかからない
考えるだけだからである。
 
間違って研究費があると、
お金がした仕事か、自分がした仕事か
それがわからなくなる
だから研究費はいらない
 
受験がそうだが、
あれが年々難しくなるのは、
みなが勉強するからである
全員が、一斉に受験勉強をやめてしまえばいい
そうすると、突然平均点がさがる
その中でも、優劣はきちんと生じる
人間にはどうしても能力差がある
結果は同じで、しかも全員がラクになる
それが出来ないのいは、抜け駆けを心配するからである
 
何事であれ、最後端を走る
そう決めたら、あとは簡単である
なんの苦労もない
自分は一人だから、談合の必要はない
 
学問は、しょせん自分の才能であろう
それなら、他人と並んで走ろうが、
一人で走ろうが、さして変わらないはずである
 
あるとき突然、ただ創造が起こる
あとは積み重ねであり
最先端とは、つねに積み重ねの一番上である
それでなければ最先端だと判別できない
 
しかも最先端は最後端の上に乗っている
さもなければ、最先端は存在しない。
ただし、最先端でしか創造が生じないと思うのは
偏見である。
繰り返していう
最先端でしか創造が起こらないと思うことが
進歩主義の最大の弊害である。
横に走ることを知らないから、
そう思うだけである
 
養老さんは「バカの壁」などのエッセイで
広く知られるようになりましたが
本来この「バカの壁」とは養老さんと対談した編集者が
この言葉に感銘を受けて座右の銘としていたものでした。
それが新潮のタイトルになりました。
 
想像もしたことのない世界のことは
伝えられても分からないくらい
僕たちは自己認識に囚われています。
 
そのことを気付かせないかのように使われる言葉が
バカであり、死である
 
何万というハードウェアの構造的解体訓練を通して
内面の世界というソフトウェアを根拠づけてきた養老さんは
こういいます。
 
他人のしたことに追いつくだけで、一生以かかる。
間違って新ことでも発見できたら、大変なことではないか。
そう思って最後端を歩いてきたら、いつの間にか知命を超えてしまった。
最先端にいたら、いまごろ身体でもこわしているかもしれない
 
最先端を走るひとを、私は偉いと思い、
それなりに評価するが、自分がそうするつもりはない。
その理由は、ここまで述べた通りである
そのための損は、十分背負っているつもりである。
 

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただき有難うございます。