copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

自分の感情の蓋を開けようとする人がコピーライター

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僕が何でコピーライティングを
勉強しているのか
ちょっと考えてみることがあるんです
 
僕自身のことを言えば
 
本質を見通す力をつけたい
というのが動機です
 
そして
日本人全員に
コピーライターになって欲しいです
 
僕の中では
こういう分類が出来上がっています
 
コピーライター      
自分の感情の蓋を開けようとしている人
 
 
コピーライターじゃない人
自分の感情の蓋を閉ざしている人
 
 
勝手ながらこんな分類をしています
 
人間関係を円滑にする方法とか
人生を楽しむ方法とか
方法以前に感情の問題だと気づいている人が
どれくらいいるでしょうか
 
僕も長らく理解していませんでした
何か、いい方法があるはずだと思っていました
 
その根っこにある原因が感情だとは
思っていませんでした
 
結論から言います
現代には
感情の力を封印したままの人が
圧倒的に多いのです
 
そして、コピーライティングに感染しやすい人も
感情を封印している人がそれに比例します
 
大塚英志さんの「おたくの精神史」という本があります
 
 「大人になる」ことをつまらないと言ってしまうひとには、
 
じぶんたちがあたり前のように社会化できてきたことが見えていない。 
 
どうやって、じぶんがじぶんになることができたのかわかっていないし、
 
それがどれだけしんどい作業だということを認識していないのだ。
 
 
80年代という溢路を記述するためにぼくが極めて主観的な方法をとったのは
この溢路を「他人事」として相対化したくないからだ
 
と結んでいます
 
最近になって
よく聞く様になった
コピーライティングとか
コピーライターという言葉からは
 
胡散臭さしか感じません
 
売り上げが6倍になります
とか
言い方ひとつで人の気持ちを変えられますとか
 
人を騙すテクニックであることを嬉々として
宣伝しているものが多いです
 
寂しいです
 
人を騙すテクニックとして
コピーライティングという言葉が認識されるのが
残念です
 
ここでいきなりコピーライティングというスキルの
種明かしをすると
 
感情を再発見するという共通点があります
 
感情に瞬時にリンクして引き出される言葉だから
意識して目が止まります
 
次に、記憶を辿りはじめます
 
過去に経験している情報を
掻き立てられます
その一言で
確かにイメージが膨らみます
 
日本の広告コピーでは60年くらいの歴史があります
日本の広告コピー業界がしてきたことは
 
新しい個人の生き方を社会化することでした
言い換えれば
 
日本人の孤独と後悔を麻痺させることでした
 
1985年にはカエルコールというキャッチコピーが流行しました
家に帰っても寂しい人や
仕事が忙しくて家族の団欒が持てない人
故郷に残してきた両親がいる人
たちにとって
 
帰るという言葉に
様々な感情が掻き立てられました
 
コピーライターは
 
人間が合理的な存在ではなく、感情に左右される生き物であり、
無意識のうちに操作されやすい、ということを熟知しているんですよね
 
人々にお金を使うよう仕向けるべく、
隠されたメッセージや
巧妙なデザインがあります
特別な効果を引き出す音楽があります
 
アップテンポの音楽には
その音楽を聴かせることに意味があります
 
愚痴を言うのも、無意識で感情のエネルギーを放出しようとする
足掻きかもしれません
 
自分の寂しさや
張り合いのなさ
恐怖の感情
を言葉にしない分だけ
 
人の言葉に反応してしまいます
 
人間にとって豊かな感情
 
糸井がうれしいと喜ぼうと消費者に語りかけているのは、階級が喪失し、誰でもが等しく豊かになった事態であり、中流幻想の左翼的肯定こそが根幹にある・・戦後の日本社会が富の再分配を徹底した一種の社会民主主義国家に関わっている」
 
仙人さんが提唱する
黄金の国ジパングというキャッチコピーについて
考えています
一見使い古された言葉に見えますが
 
 
この国はもうダメかもしれない
という思いが
 
多くの日本人の心の奥底にあるのかな
それを認識させたい言葉なのかな
と考える様になっています
 
 
現状維持していけば
何とか生きていけるんじゃない?
と考えている人たちにとっては
うるさがられようとも
警鐘を鳴らさずにはいられない
 
僕の考える
コピーライターが書くべきもの
 
セールスライティングする商品とは
日本人の未来です
 
もちろん僕が日本人の未来を
在庫の様に倉庫の中に所有している訳でもなく
見てきたかの様に
わかっている訳でもなく
こうなるべきというビジョンを持っている訳でもないです
教育はどうなるべきとか
いちにちの労働時間はこうあるべきとか
どういった食べ物を食べるべきとか
人間関係はどうあるべきとか
老後はここに入るべきとか
子供は何して遊ぶべきとか
全ての業界で指し示すだけの知性も
ありません
 
でも、多くのコピーライターが書いている様に
美味しいものが、食べたいものが食べれて
好きな時間のお酒が飲めて
仲良くなりたい異性とロマンチックに慣れて
時間に制限されなくて
生きたい様に生きて
という言葉に感情を掻き立てられて
 
そんな行き当たりばったりの欲望で
 
理想を思い描いて我慢する習慣も無くなった
便利な商品を探してばかりの
コピーを読むだけの立場に立たされた人間に
だまして奪い取るだけの資産価値がなくなった時
将来が約束されているとは思えません
 
死んだ人間に対して責任を負うからこそ
生きている人間に対しても責任を負えるのだと思っています
 
死んだ人への無念と後悔と悲しみを麻痺させない生き方こそ
僕がコピーライティングを学び続ける理由です
そして
全ての人に感情と向かい合うコピーライティングを学んで欲しい理由です
 
コピーライティングを感情レベルで説明している教材はこちらです
 
今日もお読みいただき有難うございます

競争を避けよと語る哲人企業家

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競争を捨てよと語る哲人企業家
 
ピーター・ティールさんです
 
一見するところ、
 
日本のトップ投資家たちがやっていること
 
大体はティールさんの真似です
 
トランプ大統領の思考を読んでいる数少ない人であり
政財界両面での安定を感じる、当代きっての鬼才です
1998年にペイパルを創業
フェイスブックへの思い切った初期投資でも有名ですね
 
哲学の最高学府で学んだ経験と法学の実務的素地のある企業家として
魅力を感じます
 
 
 
アメリカで最も有力な経済学への期待は
パンの施しを受ける列を作る、社会主義化への予防策として
競争主義を神話として掲げることだ
しかし、永続的に、価値の主体であり続け
自らの利益を安定して獲得したいならば
他の交換可能なすべてのビジネス競争からは遠ざかり
ただ、独占権の獲得に全エネルギーを使うべきである
 
今日もっとも世界に影響力のある企業、例えばGoogle社は
過去10年間で検索という概念の圧倒的な提供者だった
そこには何の競争もありえない
その独占によって、社員を強力に導き、新たなサービスを提供して行く
自分のキャリアを考える人生設計で、優れたナビゲーターとなるマインドセット
競争しないこと
なのです
 
 
「人が争いあうのは、大概の場合、利害が一致しないからではなく、
それが一致しているからなんです。
ふたりの人間があるポストをめぐって争っているとしたら、
ふたりの欲求が一致しているからで、そういう争いは、極力避けるべきです。
世間は『競争』というものを過大評価しすぎているのです」
 
資本家の唯一のゴールは、市場を独占するところにある
競争というのはコミュニストのコンセプトであって資本家が目指すべきものでは
そもそもありえない
 
 
コンペティションは害毒であるというテーマで彼はこう語ります
競争は僕たちの身の回りのものにフォーカスさせる様に
僕たちの思考を追い込む
そして、その競争による獲得、満足の中に
より良い社会的な生き方があると
考えを固定させていきます
 
その結果、何が大事なことなのか
という視野と考え方を失って行くのです
我々の生きているこの世界で
ある意味で超越的な
真実に価値のあることが
見出せなくなります
 
競争が中心的モチベーションであるエンジンで世界が成り立っているとしたら
そこにあるのは競争者のコピーです
より競争を苛烈化して行く同業者に溢れていく危険があります
 
彼はMBA保持者を雇用することはありません
 
ティールさんが影響を受けた
The Sovereign Individualという本では
 
福祉国家が崩壊したとき、どうやって生き残り、富を築くか
にフォーカスしています
 
各個人が真に主体的であること
 
国家の残骸から、新たなグローバルシステムが生まれる
そこでは「知的エリート」が権力と影響力を誇り、
「独立個人」という階級として「大量の資源を支配」する。
彼らはもはや国民国家の支配を受けることなく、
自らに有利に働くよう国のあり方を変えていくと予言しています
 
 
競争はいったんそれ自体が目的となると進歩を抑制してしまう
ルネ・ジラールの欲望の現象学にはこの様に書かれています
 
われわれがあるものを欲するのは、それがそれ自体として望ましいものであるためではなく
他者がそれを欲しているからであり、
他者がそれを望ましいものとして示すからである
他者の欲望を媒介として
私たちの欲望は対象へと結びつけられ、主体、客体、媒体の三者で構成された欲望の三角形が出現することとなる
欲望は他者の媒介、つまりは模倣という行為を通じてしか成立しえず、三角形のドグマ的構造に規定されているわけである
 
三角形のドグマ的構造をいかに市場に読み取るか
ティールさんは
その有為な実践者と言えるでしょう
仙人さんのマインドセットには
彼の語録も多く散見されます
今日もお読みいただきありがとうございます

もしも摩擦がゼロにできたら 在宅介助者必見

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在宅介助者必見
 
摩擦を軽減するシート
スピラドゥというシートがあります
 
デンマークで最も支持されている
スライディングシートです
 
介護の現場で必要とされる
移動、移乗のストレスをフリーにしました
 
摩擦を感じなくて済む
魔法のシートといってもいいです
 
 
 
洗うこともできるので衛生的です
 
また耐久性が
 
一般的なシーツの7倍もある
洗濯も可能
使いたい大きさに切っても
ほつれない
 
ストレスフリーのシートです
 
僕も在宅介護をしている経験があります
現在も毎日です
 
自分の力で起き上がったり、
寝返りを打つ事ができない方の介助
これには腰を使います
持ち上げたりします
 
介助者は、もちろん身体を傷めない効率的な方法を学びますが、
実際には介助者自身の肩や腰や膝で支える場面が多いです
 
自分で洋服を装着できない方の場合
他人に服を着せるのは本当に難しいんです
 
シワがついたまま履かせたり
着せたりすると
そのシワが皮膚に擦れて
擦り傷ができます
 
ちょっとした出っ張りに
体重がかかります
圧迫創傷と言います
 
そんなちょっとした擦り傷はとても痛いです
さらに、その擦り傷は蒸れたりして
細菌感染します
ジュクジュクとして嫌な匂いがして
化膿します
 
シワができるのは滑りが悪いから
皮膚に素材が引っかかるポイントでできるんです
 
皮膚と素材の間に
摩擦をゼロにするシートを挟めば解消するんですね
 
手術室やICUで意識のない人の体位変換
キャリーからベッドへの移乗
それは一般病棟でも可能です
 
滑りの悪い行為全てに
工夫ひとつで
力要らずの滑らかな動作ができます
 
するっと入る感覚
これは、介護の場だけではなく
日常の利便性を一変させます
 
スピラドゥを2枚重ねた状態で、
重たいものを乗せてみるとどうでしょうか
 
シーツを破ってしまう様な尖ったものでなければ、少ない力で押せます
 
また、小さいお子さんに
身体操作を学ばせることにも一役買いそうです
 
フェルデンクライス・プラクティショナーの伊藤亮子さんは
デンマークに留学して
体操指導者とドイツの理学療法士の資格を習得
身体障害児の養護学校での勤務していました
 
リハビリテーションの時間だけではなく
日々の暮らしの理解を深め、優れた福祉用具(補助器具)を用いることの重要性を
世界に発信しています
 
要介護者を支える家族などへのケアの強化
これは日本では相当遅れています
家庭で介護をする人に対して、時間的・精神的に余裕を持ってもらう
そんな知識への整備に一石投じていきたいです
 
摩擦という概念について
日常を考えられるツールとしてもオススメですよ
僕は物理学大好き人間なので
早速購入して
使用感を確かめてみたいと思います
 
今日もお読みいただきありがとうございます
 

 

大人に褒められたら、その時点で大人の世界の奴隷

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「私はプラトンの頭脳、シーザーの手腕、シェイクスピアの詩、主キリストの愛の所有者」
と言ったのはエマーソンですが
ここまで高い自己評価を持てたら
毎日がもっと楽しいです
 
自分の認識、感覚、直感、判断、感情、思考に自信を持つ事
自分の価値観を持つことの大事さについて
考えて見たいです
 
世界的美術家の横尾忠則さんは
 
十代の頃に夢中になったことを大切にしろ
 
と言います
 
大人の奴隷になっていることを
どこかで自覚しているから
 
僕たちは元気がでない
のではないでしょうか
 
僕たちが前衛芸術家たちから見習うべきことは
その驚くべき価値観の独立です
 
大人に褒められたら、その時点で大人の世界の奴隷です
 
世間を強く意識する以前の僕たちは
もっともっと、伸びやかさを持っていたように記憶しています
 
世間に慣れ親しんだ大人の考え方よりも
柔軟で突き抜けていた、ある意味神聖な領域を持っていました
 
真理に適う部分は、幼い人の方がはるかに沢山持っていること
これは多くの哲学者が説いています
 
前衛芸術を生き方にまで高める人たちは
 
子供の時の自分の実践者であり
 
自分自身の老いの実践者であり
 
才能の対話者として洗練されています
 
 
芸術家は神の道具
 
と考えている
横尾忠則さんの言葉に触れてみると
 
その一言に考えさせられることは多いです
 
ピカソが画家だから、僕も画家になった
 
一見子供の言い分の様に聞こえます
 
友達がやっている事の真似が大好きだった頃の子供の感性です
 
ピカソの自由さ、いい加減さ、無手勝流、剽窃主義、詐欺師的な
そういうものに全部襲われたと語ります
 
ピカソがひたすら自己の感情に忠実に描いているというのは、
もう一点一点見ればすぐに分かるんです。
その無垢な忠実さに打たれ、僕はいいようのない解放感に包まれました。
 
と同時に、自分に問いかけたんです。
僕はデザイナーとしてクライアントに忠実だったけれども、
自己に忠実じゃないんじゃないか。やっぱり絵しかないんじゃないか、と。
 
もともと高校生のころから、僕は郵便配達員の次に画家になりたかったわけですから。
ピカソ展を見て、別にピカソのようなスタイルの絵を描こうと思ったわけではありません。
ピカソのような生き方が本当に可能ならば、僕も従いたいと思ったのです。
つまり、創造と一体化した人生です。

もともと僕は模写から出発しているから、

マルセル・デュシャンのレディーメードの活用を知らぬ間に行っていたわけです

このやり方を始めたのは子供の頃だから、ピカソらがやってたなんて当時は知らなかった。

 僕の場合は基本、切ったり貼ったりもするが、描くことが多い。

自分の中に記憶されているありとあらゆる事物のストックがあるんです。

だから、例えば過去に見た名画のある一部分を今描いている絵のここに欲しいなと思うと、それを引用しちゃうんです。

この場合の引用とは無論、剽窃ではない。

既存のイメージを本来の場所から引きはがし、新たな文脈に投げ込むことで、

オリジナルなヨコオワールドを創り上げる。

美術史上の名画、往年の名俳優や憧れの女優、少年期に夢中になった冒険譚など、

記憶の引き出しからはさまざまなものが飛び出す。

20代から自分の遺書を書いていた
なんてこともあります
生きている延長に死があって、生の側から死を見ている人がほとんどだと思う。
でも僕はむしろ、死の側に立って現実の生を見る。
死は忌まわしいものでも悪でもない。
その視点に立って、祝祭としての死を表現してきました
子供は純粋で無垢で素朴で遊びの精神に満ちていますが、
最終的にピカソは子供になろうとして実際に慣れたんじゃないですか
 
子供の時に持っていたエネルギーを失う
 
その要因の一つに
 
大人の世界に呑まれる
 
があるならば
その大人の世界を作っている言葉を離れる
 
その秩序を作り上げている言葉に対して
距離を置くことは
 
 
言葉に囚われる僕たちにとって大事なことです
 
 
言葉を離れる
から
印象深いところを抜き出して見ます
若い頃は私がいて他人がいました。

他人を意識する私がいました。老齢になると私と他人がひとつになるような気がします。

私が背負っている自我を私から下ろして身軽になりたいのです。

言葉さえも私から降りたがっているような気もします。

ぼくの中から言葉が毎日のようにひとつふたつとすべり落ちていくのです。

人間が死ぬということは肉体の中から全ての言葉がなくなる状態をいうのではないでしょうか。

生きている間にうんと使いはたして、言葉の器をからっぽにして旅立つことができれば最高ですね。

なぜなら言葉の中には人間の煩悩がビッシリ詰まっているからです。
 
子供の時のエネルギーを取り戻すのではなく
老いをエネルギッシュに生きて生きたいものです
 
今日もお読みいただきありがとうございます
 

ケアして欲しい時は、ケアを求めてはいけない

 

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ケアして欲しい時はケアを求めてはいけない
 
僕たちにはどうしても訪れる時があります
 
それは目標を目の前にしていながら
積極的になれない時です
 
期待に応えようとして
前のめりになってエネルギーを
消耗している時です
 
心が弱っている時です
 
自信を持てない時
慰められたい時 
弱音を吐きたい時
甘えたい時
 
心が弱っている時は
色々な事がいっぱいいっぱいです
 
その時間が長く続くと
知らず識らず
 
後ろ向きになっている自分のことを
本当の自分であると
 
間違って感じ取るようになります
 
ケアして欲しい
それを
本当の自分の要求と思っています
 
99パーセントの人は
その状態の自分を本当の自分と勘違いしています
 
だから、人より多く欲しいのです
弱い自分を騙す人間は許せないです
怒ります
すると益々ケアされなくなります
最後には舐められてしまいます
 
このループを繰り返している状態
 
身に覚えがありませんか?
 
溺れる者はワラをも掴むという言葉があります
呼吸が苦しくて、視界も定かではない時
生き残ろうとして目一杯手足を伸ばします
足が何かに触れたら、少しでも水面に行こうと蹴り上げます
手が何かに触れたら、少しでも口と鼻が水面から離れるように
何かを掴んで安定させたいと思います
 
それが身体を支えるのに十分な強さがあるかなんて
お構い無しです
 
そんなワラでも掴みたい時があります
その時の要求は正常な判断とは言えませんよね
 
 
そうすると、ますます
少ない感情の奪い合いになります
 
 
溺れているとはいかなくても、足掻いています
一生懸命で努力しています
 
心が平静で無ければわからないことがあります
 
これは今、本当に手にするべきものなのか
自分を支えてくれるところに足を置いているのか
 冷静になって考えたことがありますか
 
 
本当にエネルギーが足りない時、
誰かから分けてもらえるかも知れません
でも、人から与えてもらったエネルギーでは生きていけません
ほんの一瞬潤うだけです
 
足りないと思っている時はコップ一杯の水だって
与えるのを惜しがりますし
 
貰う方はもらう方で、コップ一杯の水で満足はしません
 
では、もしケアが欲しい時どうしたらいいでしょうか
 
答えは実力を発揮することで出ます
 
矛盾しているようですが、
 
本当に助けが欲しい時、僕たちは
助けを貰えることを半ば当然と思ってしまうのです
 
だから、助けを求めれば求めるほど
助けは遠いのです
 
 
実力を発揮する自分を見つけるための
大事なエクササイズを
仙人さんに教えて頂きましたので
最初の部分をシェアします
 
1、今の自分にとって問題だと思っていることを書き出します
2、次に、その問題を解決する最も有効な方法だと自分で考えていることを書き出します
3、そして、48時間の時間を使って
その問題が本当に今の自分が解決するべき問題なのか
その問題を解決したら、事業はうまく行くようになるのか
検証して見ます
 
ちょっとやって見ましょう
 
1、今のあなたにとっての問題は何でしょうか
 
孤独であること
余裕がないこと
自由がないことでしょうか
 
2、有効な解決方法はなんでしょうか
 
なんでも好きな事ができるお金
惜しみなく愛情を与えてくれる恋人
あるいは
辛い体調やメンタルでも努力していることに対しての賞賛でしょうか
 
3、では、その問題と問題解決方法は正しいでしょうか
 
孤独は恋人がいれば解決しますか?
心の余裕はお金があったら解決しますか?
自由がないのは、人から称賛されたり尊重されたら解消しますか?
 
恐らくですが
NOです
解決しません
 
まず、ここまでのステップ、やって見てくださいね。
 
 
次のステップでは自分の心理機能別に
どうやってエネルギーを満たして行くか
判別します
 
実力を発揮したことがない人は
自分に何か問題を乗り越えていける力があるとは
感じられていません
 
でも、自分に備わった心理機能で
実力を発揮する体験があれば
 
ケアが欲しい自分に
本当のケアを与えられるようになります
 
 
今日もお読み頂き有難うございます
 

 

マリオカート的人生

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才能はそんなに便利ではないです
 
僕たち一人ひとりに恵まれている才能たちは
 
お互いに足を引っ張り合います
 
引っ張り合い、抑圧しあって
深く影響しあって
当然うまく使えないという事態を引き起こします
 
才能とは便利に扱えるまでに
時間がかかります
 
例えていうならば、スポーツカーのようです
 
マシンそのものを整備していないと
そのスピードや力強さで
コントロールを誤まります
それから、しっかりボルトとか締めてメンテナンスしていないと
走行途中に空中分解して
タイヤが外れてコントロール不能になり、
電柱にぶつかります
通行人を数人傷つけてしまいます
 
心の中で起こっているレースです
 
道路整備ができていないと、ちょっとした小石に乗り上げて
横倒しになります
ひっくり返されます
道路に信号をつけておかないと
衝突しあってしまって
ビクビクしてしまって
安心して運転できません
 
道路の区画整理や、
配慮の積み重ねが必要です
 
行き先にたどり着けないのは
人生の達成できていないことと同じです
 
忙しくて、時間がなくてたどり着けていないのです
でも、僕たちは車が遅くて
たどり着けていないのでしょうか
 
それとも車のメンテナンスを怠って
途中でエンジンストップしたり、部品が外れたり
車本体がトラブルを起こしたりして
たどり着けないのかもしれません
 
あるいは、道路が混んでいる場合も
到達できません
あと、交通整理ができていない道路だらけでも
安定した走行ができません
視界が悪ければスピードを出せません
交差点で信号きがなければ、
ノロノロ運転になります
 
さらに、道に迷っているのかもしれません
 
忙しいという言葉は使いやすいですが
忙しいには2種類あります
 
1、目的達成するのが忙しい
 
2、達成するプロセスでタスクを増やしてしまい
仕事量が増えて忙しい
 
目標までたどり着くのに忙しい場合だけではなくて
 
目標にどうやって近づいていいのかがわからなくて
試行錯誤して道を見失う場合もあります
 
自分の才能と、感情
行動に注意を払うことで
日頃の行動の背後にある動機をより深く理解できるようになります
また自分自身の習慣についてしれば
改善も出来るようになります
 
車で言えば
本来の性能を引き出せない状況を
自分で作っていながら
車がポンコツだと
呪っている状況も
よくあります
 
感情は知らない間に積み重ねられています
毎日たまります
人と出会った分だけ、総量が増えています
 
目標までの道のりが
いつの間にか障害物競走になっています
ストレスばかりです
 
バナナの皮とかが落ちていたら
スリップしてしまいます
 
ノコノコの甲羅とかが置いてあると
スピンしてしまいます
 
人生はマリオカートです
 
レーステクニックとは
それぞれ持ち合わせた才能を発揮させてあげることです
 
クッパは重量があります
小競り合いに強いですが
トップスピードまで行くのに時間がかかります
初速が遅いです
 
ヨッシーは初速が速くて、
ストップしてしまってもすぐ立ち直りますが
小競り合いで弾かれたりします
 
そんな違いを生かしたレーステクニックを身につけるには
僕たちが見ている単純な能力の違いを
よく知るということに掛かっています
 
才能とは
ちょっとした差を理解した
走行テクニックで
一気にブレイクスルーするものです
 
そんな才能のちょっとした差に
理解を開く勉強をして見てください
 
 
今日もお読みいただきありがとうございます
 
 

 

優秀な人から居なくなるジレンマ

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優秀な人から居なくなるジレンマ
 
言葉のM&A
 
M&Aとは
merger and acquisition
です
国境を超えた企業の合併と買収を表した言葉です
merger とは合併や吸収を表す単語ですが
混乱を意味する単語でもあります
僕が仙人さんに質問したいのは、
コピーライティングで混乱を避ける方法についてです
 
コピーライティングでは
様々な売れたセールスレターを学び吸収する技術でもあります
過去にどんな商品が生まれ
それはどのようなセールスレターで運ばれて言ったのか
その運び屋としての才能を求められるのが
コピーライティングです
すると、運ぶことが最優先してしまい
使える技術やシステムはなんでも使う
という節操のない混乱が起こります
 
よくもわるくも、
僕たちの見かけるセールスレターの世界では
企業間の合併吸収を示すM&Aのように
言葉のM&Aが起こっています
主な動機は
「国際競争力をつけるため」
「国内市場競争力強化のため」
「破綻企業再生のため」
 
であれば、当然実際に行われているM&A
全く同様の出来事がセールスライティングの場面にも
出てきます
裏切りです
 
合併吸収には裏切りがつきものです
一部役員と従業員が
疑心暗鬼になるのです
 
なんでもかんでも一緒にしてしまうと
尊重されてないと感じてしまう
そんな
優秀な人から居なくなるのです
 

M&Aは株式譲渡が大半を占めています

オーナーが保有している株式の全部または一部が、別の株主に異動するというだけのことです

基本的に売り手企業という法人に変化はありませんし

中で働く役員・従業員にも直接の変化を及ぼしません。

しかし、多くのケースでオーナー社長の希望を受け、

M&Aののちに比較的すぐに、社長が交代します。

社長が変われば、全てが変化します

環境が変わって、ルールブックと呼ばれる

しきたりや

些細な取り決め

当たり前の文化

といったものが

言葉や形にならないものが

継承されます

 

ベルリンの壁が壊され、東西ドイツが統合された時も

起こったことは

大量の知識人が路頭に迷った

社会的価値観の混乱でした

今までとは違う分野の人たちや

考え方の人たちが乗り込んで来る

このストレスは

疑心暗鬼を生みます

不安感を強めます

自分の居場所がなくなると

思い込み始めると

僕たちは自分の安全を確保するためには手段を選ばなくなります

組織全体の利益とは違った行動を始めてしまいます

 

するとなけなしの信頼を傘に

自分の立場を保証してくれる人たちと繋がろうとします

身売り行為です

裏切行為が起こります

セールスレターで使われている言葉が

身売り行為を行ってしまうと

信頼されなくなります。

レベルの低いセールスレターが巷に満ちています

口先だけの将来へのビジョン

口先だけの顧客満足

これらはみんな、独りよがりの言葉で語られます

 

仙人さんは

セールスレターにとって大切なものは文化だと言います

僕たちが漠然と考えている文化の5パーセントが本当の文化だと言います

会社組織で例えると

一部の経営陣の姿勢です

無用な不安を生まない

危機感を生み出す前に消してあげるのです

役員や社員にとって危機感が育つのは当たり前のことです

事前に彼らの心の中に危機感が増幅する状況を

回避するのです

 

そのためには

日頃から言葉という文化に対して

敬意を払っていなければなりません

コピーライティングの活動を行なっていく中で

自分の言葉を信じていく

これは

経験ですね

M&Aでも優秀な社員を中心としたマッチアップができるには

相当の熟練が必要と言われますが

この心がけを

僕たちは持っていきたいものです

https://www.xschool.is/JrA_Sales/?vid=ImoG6A7V3Z

今日もお読みいただき有難うございます