copywriter-住職’s blog

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国家予算15年分の男

 

今日はビジネスの人物を紹介する日です。

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中国の不思議な役人バルトーク作曲


ビジネスの国中国では有名な人物 和珅です
商人であり、役人です、国家の運営も任されています。
中国の人が考えるビジネスと生き方との近さには、
独特のものがあります。
この辺りを考えるのに重要な人物と言えます。
幼い時にはイケメンで有名だったのですが、家は極貧の生活を強いられていました。
しかし、旗人という満州族の建国の名門であり、人の縁を大事にする家系だったのですが、とにかく気がきく人でした。
18歳の時に直隷総督に仕えることになり、総督の孫娘を妻とします。
その関係から乾隆帝の目に止まり、乾隆帝のおそば付きの仕従となります。
うなぎ登りに出世し、長男は乾隆帝の娘と結婚します。
国家の親戚と呼ばれます。
数十の役職を独占します。
内閣主席大学士、忠襄公、文華殿大学士、軍機大臣、吏部尚書、歩兵総督などです
そして権力を利用してお金を儲けます。
最盛期には、質屋を75軒、骨とう品店13店舗、妓楼106店舗、大小合わせて銀行を300軒ほど経営します。
その他にも酒造、織物、鉱物などの産業、小売業のギルドを独占し、大英帝国東インド会社や広東十三行とも単独で取引していました。
乾隆帝は在位60年にして息子の嘉慶帝に譲位しましたが、
実際は和珅の独裁でした。

乾隆帝の死後、恨みを抱いた嘉慶帝によって死を賜りますが、
その時に彼が溜めていたお金は黄金150万両、銀11億両と言われます。
実に当時の清朝の国家予算の15倍とも言われる額でした。
国史上での汚職役人のナンバーワンであり、貪官の神と呼ばれました。

 

なぜこんなにお金を貯められたのか、中国でも議論があります。
当時の世界経済を考えても、ダントツトップの富豪です。
まず、単なる汚職収賄に手を染めた役人とは違って、かなりの能力者でした。
4ヶ国語をあやつりました。
モンゴル語満州語、漢語、チベット語です
そして、相当レベルまで古典哲学に精通していました。
特に孟子です。
乾隆帝に認められたのは、乾隆帝孟子を読んでいた時でした。
彼に灯りを持たせていたのですが、ちょうど読んでいるところが読みやすいように
灯りが当たるのです
そして、議論しているところにピンポイントに灯りが射します。
すべての内容を理解していないとできないことなので、乾隆帝は彼に興味を持ちました。

そして感情表現に豊かな人でした。
乾隆帝は実母を大事にしましたが、皇太后への細やかな配慮を忘れない人でした。
それから人望もありました。
同僚の汚職や賄賂事件があると、それを不問にするとともに、自らの懐に入れるという
親分気質もありました。
それから、ものの価値をよく知っていました。
骨董文物をよく知っていました。
乾隆帝の第7皇子が宮中の大事な壺を壊してしまったことがありましたが、
それによく似た文物を自らの収蔵品から選んで、その場所に置き、
何気ない顔をしていました。

しかし、和珅の理財を決定的にしていた制度、それは清朝の財政制度に問題がありました。

和珅の死後、中国経済は長く低迷します。
財界の一新、乱降下が起こると、零細産業が滅びます。

何がその後の100年以上の経済的不況を招いたのでしょうか?

政治と経済の問題の立て直しはどの様に行われるべきだったのか

最近になって漸く出始めた結論に至っては

歴史的人物評価というものが180度も変わってしまうものです。

これについてはまた後日改めて。

 

今の日本はどうでしょうか。

同じ様な問題を抱えている様に見えるのですが。 

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます。