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自由人とは何か

自由人とはなにか

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それは自分の舞台を自分で作る人なのだ
どんな舞台でも自分の想像したもので、自分で主演をやっている人
それが自由人である

どんな大舞台でも、自分のものでないのなら、
官吏や月給取りならエキストラにすぎない
どんな小舞台でも、小劇場でもいい、自分で造れ。
自分の舞台を作った人とは、追放されたり
排斥されたりしない人の事だ
君でなくてはならないと言われる位置を作り上げることだ
小僧でも門番でも、発送係でもなんでもいい
その主になることだ

自由人
という意味では伝教大師最澄がその人です
/>桜沢如一というマクロビオティック創始者が絶賛している人物の一人に最澄さんがいます。このように紹介します。

桜沢さんには最澄さんの実業的な精神に
シンパシーを感じていたのですね。

最澄さんは12歳で出家
その後19歳で比叡山に登り
250戒の行を行いました。
それを52歳まで続けました
52でやめたというよりは、小乗戒と呼ばれるものから
大乗仏教の戒律に切り替えたということですが。

たとえば10戒はどうかというと
盗みをしない、セックスをしない、嘘をつかない
酒を飲まない、身を飾らない、演劇を見ない、
暖かく柔らかい寝床で寝ない、午後は飲食しない
お金に手を触れない
一つでも守り続けるのが難しいですね
それに類した戒律が250です

それに、12年間比叡山を降りなかったとか
13年間独学したとか
そういうこともすごい修行ですが

28歳には教育機関つまり学校を建てるという
大土木工事を行えるほど
周囲の理解と協力を得られていたというところに
実業を見出すことができます
そして多くの教育者を世に送り出しました。

仙人さん最後のビジネスモデル

桜沢さんは食の陰陽の理論を世界に広めるという
一生の仕事を持ちましたが、
最澄さんを自分の手本のように思っていたようです

驚くべきは情報の早さです
唐の時代に西遊記で有名な玄奘三蔵法師が
インドに17年間密入国して学んだものが
すぐに日本に取り入れられました。
それが最澄さんの仕事の早さです

並び称される空海さんも同様です。
顕教密教という陰陽のアプローチこそ違いますが、
仏教の情報処理として考えると
両者は同じ役割を日本に対して果たしています。

ここでは詳しいことはお話しませんが
大変危険な船旅をして、54日漂流したりとか
船の修理で1年半も港で過ごしたりとかしながら
中国に留学します。

言語的にもすぐに会話が通じる環境ではないにもかかわらず
6ヶ月程度の滞在機関で日本に必要な情報をざっと集めてきました。
人脈を構築する力が卓越していました。
中国に文化交流会館もつくりました
国や言葉は違っても、宇宙の法則を研究する心は一つだ
といって中国の研究者に惜しまれながら帰国します。

日本でこれまでの文献を相当読み込んでいたからこそ、新しい理論がたちどころに見てとれたのです。
だから、言葉の不自由な、監視された環境でも
必要なところがすぐに理解できたのでしょうね。
取り入れるべきもののポイントがすぐわかったのでしょうね。

もちろん、代表的と言われるもののすべてではないのですが
大乗で足りないところの補完は
彼の弟子たち
つまり鎌倉仏教においてテキスト研究が大成し終了します。

40歳で大病を患い
弟子が離れていきます
弘法大師空海のところに弟子たちが行ってしまいます

そして一人でリスタートして
東北で教育活動をします
山小屋や宿泊所をつくったり
教育機関を作りました

そして京都に帰って
それまでの教育界と論争をはじめます
教育委員会と激論を戦わせます。

そしてその激論が培ったのが、平安の文化ですね
建築、医療、情報、農業、政治、心理学、法律、美術
教育、戦争、衣食など
日本人のアイデンティティーでした。
いまの剣道とか華道とか茶道とか
道の文化の中心となる精神文化の概念が出来上がったのは
この時の論争からなのです。

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただき有難うございます