元気の出る歌
今日は宿題を実践する日です。
1つ目の宿題で今日から遡って過去一週間、7日前から今日までの一週間までの
間に感じた感情を10個書くというものです。
怒り、嫉妬、不安、恐怖、落ち込み。とかですね
悲しい事に。悲しみ、寂しさですね。
焦りとかガッカリもあります。
一週間で見たら結構ありますね
2つ目の宿題で、その中から1つ一番自分が頻度が高いというか、一番来ている
というやつ、一番それをどうにかしたいという感情を1つだけ抜き出します。
僕の場合は、恐れですね。
恐れをもう少しちゃんと認識してマネージングしたいです
恐れが出てくるとIQが下がるのと同時に、主張ができなくなります。
/>考えていること感じていることを押さえ込んでしまうのは、
恐れの感情が大きいと思います。
それで3つ目の宿題で、それをドラマ化して演劇して、カタルシスを感じるということですが、
そのシナリオを書きます。
恐れという感情をマネージングする為の手段として演劇、ドラマを作るという事ですね
そうですね、僕にとっては、高見のっぽさんの歌ですかね
グラスホッパー物語をご存知でしょうか?
僕ならグラスホッパーの格好をして、子供のこころに帰ることで元気になるかな
恐れの感情がなくなるように思います。
ノッポさんが71歳のとき、歌手デビューしたんです
「グラスホッパー物語」。人間が本来持っている“やさしさ”を、勇気を持って信じることの大切さと素晴らしさを歌った同作には全国から共感の声が寄せられ、番組初となる10ヶ月ロングラン放送となりました。
ノッポさんは、子供のことを小さい人と呼びます
どこかの対談集にこういうのがありました。
“小さい人”たちとは、どんなスタンスでつき合っていらっしゃるのですか?
それなりのつき合い方をすれば、彼らは十分に応えてくれます。ぼくは初対面の4歳、5歳の人に向かって「あなたのお名前はなんですか?お聞かせ願いますか?」なんていう具合によく挨拶をしています。そうすると向こうでも「これはちょっと普通じゃないぞ。ちゃんとしなきゃ」と思ってくれます。本当は恥ずかしがりやでも、振り絞るような声でちゃんと答えてくれるんです。あと、70歳を越えたこんなおじいさんが、意識して小さい人に甘えることだってあります。すると向こうもちゃんとわかってくれて「はいはい、いまおじいさんは甘えたいんでしょ?」って応えてくれる(笑)。
これがぼくの基本スタンスですが、不思議なことに向こうははっきりとこのおじいさんを認めてくれます。信用してもらえるから、すぐに友達になれちゃう。このことについては、ぼく自身、ちょっと得意に思ってることなんですよ(笑)。
大きい人からは「それは誰にでもできることじゃないですよね」と言われることもありますが、そんなことはない。自分の小さい頃をよく思い出してごらんなさい。自分がどれほど賢かったか。大きい人に辱めを受けたような時、どれほど悲しかったか、あるいは怒りを感じたか。「そんな小さな頃のことは覚えていません」とおっしゃるかもしれない。だったら、もう少し年代を上げて中学生の頃、高校生の頃だっていい。たとえば服装のことを注意された時、頭ごなしに言われても、いい気持ちはしなかったでしょう。それより「ぼくもそういう時期があったけれど、どうも普通の服装にしたほうがいいんじゃないですかねぇ」と相談されるように持ちかけられたほうが、ずっと心に響くはずです。
誰でも小さい人と接する時は、こうしてご自分の過去のことを振り返ってみる必要があると思うんです。覚えていないわけじゃなくて、みんな忘れてしまっているだけなんですから。
まちかどの ちいさな こうえん
かたすみの くさかげに
ホラ まごたちをまえに あつめて
おじいさんのグラスホッパー
そよかぜに ふかれながら
コイキに おどるのさ
ときに ちょいと よろめいちゃ
まごたちに ほほえむ
いつのまにか ときはすぎ
わかきひは とおくなるよ
ホラ まごたちをまえに あつめて
おじいさんのグラスホッパー
(セリフ)
「まごたち しょくん きょうは はなしがある
わがグラスホッパーけは だいだい、
このこうえんで うまれ そだつ
じつに もうしぶんのない せかいだ。
『ここからそとに でちゃ いけません!!』
だいだいのいいつたえも よくわかる
そとに でちゃ いけません!
どうやら そとは べつのせかいが あるらしい
どんな せかいなんだろう???
わたしは わかった。
なぜいっちゃ いけないのか
なにか こわいことでも あるというのか
『ぼくは こんなにわかくて つよいんだもの』
とぶときは いま
とべとべ はねを ひろげ
おおぞらの むこうへ
おそれる ことは ない
まだ みぬせかいへ
(セリフ)
「わかいときは にどと こない
そして あっというまに トシをとる」
ホラ まごたちよ きいて おくれ
おじいさんの はなしを
(セリフ)
「わたしは とんだ とんだ とんだ」
「とんで 行ったさきは 人間達の世界
見るもの 全て めずらしく『こいつはなんとも楽しいな』
そうは行かなかった。
裏通りじゃ、人間共のくつくつくつ
『ひゃあっ!』
私は 通りがかった 女の子の肩の上にしがみついてたよ。
そしてそのまんま地下鉄の中に運び込まれていたのさ。
気がついた どこかのおじさんが、私を座席に座らせてくれた。
まわりの人間達がにこにこしていたよ。
だが 私はそれどころじゃなかった。
地下鉄は ゴウゴウゴウと どこへ連れて行くのか
と その時 声がしたのさ。
『あら、 こんなところにバッタちゃん、迷い子になったのね
いいわ、 私が公園に帰してあげる』」
おもいだす あのひ、あのときのこと
ココロに のこるよ やさしいひとが
(セリフ)
「きがつけば あふれるひかりと、おだやかなかぜ
でも そとのせかいは ひろかったぁ
え?またいきたいかって?
もう いかないよ
いや いけないよ。
ホラ トシだしな
それに このこうえんに もどれなくなったら
だがな きみたちは べつだ!」
とべとべ はねを ひろげ
おおぞらの むこうへ
おそれることは ない
まだ みぬせかいへ
いつのまにか ときはすぎ
わかきひは とおくなるよ
ホラ まごたちよ とんでおくれ
おじいさんの ねがいさ
まちかどの ちいさな こうえん
かたすみの くさかげに
ホラ まごたちをまえに あつめて
おじいさんの ちいさな こうえん
かたすみの くさかげに
ホラ まごたちをまえに あつめて
おじいさんのグラスホッパー
おじいさんのグラスホッパー
(セルフ)
「ウフフフ、そうだなぁ
きみたちから あのにんげんたちに
れいをいってもらうのも わるくはないな」
今日もお読みいただきありがとうございます。
感情は抑えつけたら負け
すべての感情に感謝
東京地検特捜部長という生き方
今日はビジネスを語る人を紹介する日です
河上和雄さんは、東京地検特捜部長になったエリートの法律家です。
1976年のロッキード事件では東京地検特捜検事として田中角栄元首相らを逮捕しました。
刑事訴訟法の理論と実務には、大変長けている人で、
刑法についての一般向けの著書も数多く残しています。
ビジネスに刑法は関係ないと思われるでしょうけども、
刑法というものの考え方は実に興味深いです。
秩序の構築者としての基礎力を養うのが、刑法というものの考え方なのです。
刑法なら「構成要件→違法性→責任」という順に検討していきますから、この流れと基本的な論点を押える必要があります。専門的な知識の基礎には、共通のルールがしばしばあります。そのルールを押えるのが基礎力構築の前提であると語ります。
社会において、一個人に問われない責任を問うこと、それがビジネスにおける責任意識です。
長いものに巻かれていきるのが“オトナ”の生き方になってしまった現代
社会の中で、一本筋を通して生きてきた感じの著者の言葉には、検事とい
う職業柄を超えた重みを感じます。
そして、その特殊なまでの責任の自覚こそ、ビジネスにおけるもっとも有益なマインドセットといえます。
捜査のやり方の話、監視する側の論理や、情報のセキュリティーの考え方など、守られている立場の国民としては、
突然冷水を浴びせられるような視点を提示される思いです。
群れを飛び出しても生きていけるような人間が集団を作った時、その組織は強くなる
。
群れを形成するには、掟があります。
その掟を飛び出しても、自らが掟となれるような責任を引き受ける
その時に、その組織は責任意識において関係の力を最大限に発揮する。
と説きます。
組織の中での自分の立場を明確にすることによって、上に阿るやり方や下にえこ
ひいきするのではなく組織全体の利益を追求することを肝にめいじれば
私心はなくなり自分なりの“筋”の通った生き方ができると言います。
守られる側、警察に事情を申し立てする時のノウハウについてはこう語ります。
大事なのは「よく見る」こと。現代は、他人や社会に対する興味が薄れているように思えます。酒場での殺傷事件で、犯人が悠然と店を出ていった。近くのテーブルにいた客たちは犯人の年格好や服装を全然覚えていない。自分以外のことに関心がないのです。
関心の薄さは余裕のなさと同義ではないでしょうか。周囲を見渡す余裕がない。自分が社会の一員であり、自分だけで生きてるのではない。まずそれを自覚することから始めましょう。
守られる側だったり、受け身で考えることに慣れてしまっている
とくに特定の法規の内側で考えることに慣れてしまっているビジネスマンは、従弱な意思決定をしてしまうことがあります。
守る側の意識、視点、ノウハウを取り戻してみる生き方
そんな意識の高さは、超法規的な視点を手に入れると同時に
日頃見えていない責任に目覚めることを意味していると考えます。
今日もお読みいただきありがとうございます。
自らを客観的に見る
10年後、君に仕事はあるのか
Playhouse 2037
今日は宿題を実践する日です。
ビジョン・コミュニケーションというテーマでお話しいただきましたが、
20年後のビジョンを思い描きながら毎日を実現していくというイメージが
より使命感を帯び、より相互扶助的であるときに
教育によるリーダーシップや
セルフリードを達成していきます。
それは、より深くビジョン化されるとともに、
視覚的に鮮明で、構成要素として明瞭にしていくこと
言語化するまえに、体感すること
その場にいる自分を思い浮かべて、感情的に満たされること
具体的に、絵のように想像できなければ
その世界にはアクセスしたことにはならないし
コミュニケートしていくことは出来ないですね。
宿題の1では目を閉じて20年後の未来を頭の中で見てほしいです。
それは今よりも少しでも良くなっている世界
自分がそこに居たい場所
そして愛情を感じられる風景
そしてそこに集うことに使命を感じられる出来事です
さあ、今は2037年の12月です
あなたには何が見えますか?
そのとき日本はどうなっていますか
僕の思い描く20年後の2037年は
もっとテクノロジーによって環境が維持されるような世界であって欲しいですね。
あと、ローカルとシティの生活や価値観に一定の住み分けができていて
価値観の循環が闊達にできている流通社会です。
それには意思の疎通もそうですし、情報の多様さが
それぞれの選択によって守られるという秩序です。
古典的な時間が保留され、一方で近代的な時間も尊重されてある
グローバリストはローカリストを物質的に支え
ローカリストはグローバリストを精神的に支える
2つ目の宿題で、その想像している中で何か一番自分がピンと来るポイント、「ここは特
にパッションが湧くな」とか「特にそこに情熱が湧きそうな気がする」という所を探すんですけども
やはり、教育の場ですかね。
価値観の循環に気付き合う場所は教室かなと思います。
回廊型のスカラーじゃないですけど、移動型で開放型の教室
アカデメイアみたいな場所
劇場。
3つ目の宿題で、そのピンポイントの部分のディテールを書き出す。ディテールを書き出
す。この段階でやっと書き出すという作業に入るんですね。
演劇型の授業で、学生が入り乱れてそれぞれのロールプレイングをしています。
ある授業の風景です。
使われている言語は、テーマに応じて変わります。
できれば古典劇です
たとえばローマの史劇で、ラテン語を使っています。
たとえば、中国の古典劇の一つの越劇などの構成など
音楽と舞台構成もしながら
そして古典語を再生しながら、考証を深めていきます。
それには、建築、音楽、語学、数学、哲学をそれぞれ事前に学んでいる学生たちだからできます。
表現が豊かで、お互いに肉体的アプローチを持っており、
振付師にプロフェッショナルなアーティストを迎えます。
装飾品と衣装には学芸員や博物館の修復者などがいます。
世界をゼロから構築する学びがそこにあります。
4つ目の宿題で、その世界を実現するために自分ができることを10個あげます
それも、毎日できることでです。
1、教育のレバレッジについて、ケースレポートを増やすため、人の悩みを聞き出す
2、セルフリーディングを徹底するためのアファメーションと言語化をする
3、語学を学ぶ、特に古典語
4、肉体の筋肉を柔軟に保つ
5、人に指導できるシンプルな食生活を実践する
6、経済的に困窮しないノウハウ、金融の勉強と資産を守る方法を学ぶ
7、コミュニケーションの能力を表現の多様化によって学ぶ
8、コピーライティングのスキルを磨く
9、自分の時間のマネジメントを細かく作る
10、精神的にも肉体的にも、自己へのケアと労りを忘れないこと
この10個ですね。
未来を作るレバレッジとは、未来を実際に目の前に見ながら
毎日を組み立てること
それを可能にする教育によって
あらゆる状況を乗り越える、対処できる精神を若く保つことができれば
達成回避不可能とまでいえる確信を持ちたいです。
今日もお読みいただきありがとうございます。