すべての感情に感謝
東京地検特捜部長という生き方
今日はビジネスを語る人を紹介する日です
河上和雄さんは、東京地検特捜部長になったエリートの法律家です。
1976年のロッキード事件では東京地検特捜検事として田中角栄元首相らを逮捕しました。
刑事訴訟法の理論と実務には、大変長けている人で、
刑法についての一般向けの著書も数多く残しています。
ビジネスに刑法は関係ないと思われるでしょうけども、
刑法というものの考え方は実に興味深いです。
秩序の構築者としての基礎力を養うのが、刑法というものの考え方なのです。
刑法なら「構成要件→違法性→責任」という順に検討していきますから、この流れと基本的な論点を押える必要があります。専門的な知識の基礎には、共通のルールがしばしばあります。そのルールを押えるのが基礎力構築の前提であると語ります。
社会において、一個人に問われない責任を問うこと、それがビジネスにおける責任意識です。
長いものに巻かれていきるのが“オトナ”の生き方になってしまった現代
社会の中で、一本筋を通して生きてきた感じの著者の言葉には、検事とい
う職業柄を超えた重みを感じます。
そして、その特殊なまでの責任の自覚こそ、ビジネスにおけるもっとも有益なマインドセットといえます。
捜査のやり方の話、監視する側の論理や、情報のセキュリティーの考え方など、守られている立場の国民としては、
突然冷水を浴びせられるような視点を提示される思いです。
群れを飛び出しても生きていけるような人間が集団を作った時、その組織は強くなる
。
群れを形成するには、掟があります。
その掟を飛び出しても、自らが掟となれるような責任を引き受ける
その時に、その組織は責任意識において関係の力を最大限に発揮する。
と説きます。
組織の中での自分の立場を明確にすることによって、上に阿るやり方や下にえこ
ひいきするのではなく組織全体の利益を追求することを肝にめいじれば
私心はなくなり自分なりの“筋”の通った生き方ができると言います。
守られる側、警察に事情を申し立てする時のノウハウについてはこう語ります。
大事なのは「よく見る」こと。現代は、他人や社会に対する興味が薄れているように思えます。酒場での殺傷事件で、犯人が悠然と店を出ていった。近くのテーブルにいた客たちは犯人の年格好や服装を全然覚えていない。自分以外のことに関心がないのです。
関心の薄さは余裕のなさと同義ではないでしょうか。周囲を見渡す余裕がない。自分が社会の一員であり、自分だけで生きてるのではない。まずそれを自覚することから始めましょう。
守られる側だったり、受け身で考えることに慣れてしまっている
とくに特定の法規の内側で考えることに慣れてしまっているビジネスマンは、従弱な意思決定をしてしまうことがあります。
守る側の意識、視点、ノウハウを取り戻してみる生き方
そんな意識の高さは、超法規的な視点を手に入れると同時に
日頃見えていない責任に目覚めることを意味していると考えます。
今日もお読みいただきありがとうございます。
自らを客観的に見る
10年後、君に仕事はあるのか
Playhouse 2037
今日は宿題を実践する日です。
ビジョン・コミュニケーションというテーマでお話しいただきましたが、
20年後のビジョンを思い描きながら毎日を実現していくというイメージが
より使命感を帯び、より相互扶助的であるときに
教育によるリーダーシップや
セルフリードを達成していきます。
それは、より深くビジョン化されるとともに、
視覚的に鮮明で、構成要素として明瞭にしていくこと
言語化するまえに、体感すること
その場にいる自分を思い浮かべて、感情的に満たされること
具体的に、絵のように想像できなければ
その世界にはアクセスしたことにはならないし
コミュニケートしていくことは出来ないですね。
宿題の1では目を閉じて20年後の未来を頭の中で見てほしいです。
それは今よりも少しでも良くなっている世界
自分がそこに居たい場所
そして愛情を感じられる風景
そしてそこに集うことに使命を感じられる出来事です
さあ、今は2037年の12月です
あなたには何が見えますか?
そのとき日本はどうなっていますか
僕の思い描く20年後の2037年は
もっとテクノロジーによって環境が維持されるような世界であって欲しいですね。
あと、ローカルとシティの生活や価値観に一定の住み分けができていて
価値観の循環が闊達にできている流通社会です。
それには意思の疎通もそうですし、情報の多様さが
それぞれの選択によって守られるという秩序です。
古典的な時間が保留され、一方で近代的な時間も尊重されてある
グローバリストはローカリストを物質的に支え
ローカリストはグローバリストを精神的に支える
2つ目の宿題で、その想像している中で何か一番自分がピンと来るポイント、「ここは特
にパッションが湧くな」とか「特にそこに情熱が湧きそうな気がする」という所を探すんですけども
やはり、教育の場ですかね。
価値観の循環に気付き合う場所は教室かなと思います。
回廊型のスカラーじゃないですけど、移動型で開放型の教室
アカデメイアみたいな場所
劇場。
3つ目の宿題で、そのピンポイントの部分のディテールを書き出す。ディテールを書き出
す。この段階でやっと書き出すという作業に入るんですね。
演劇型の授業で、学生が入り乱れてそれぞれのロールプレイングをしています。
ある授業の風景です。
使われている言語は、テーマに応じて変わります。
できれば古典劇です
たとえばローマの史劇で、ラテン語を使っています。
たとえば、中国の古典劇の一つの越劇などの構成など
音楽と舞台構成もしながら
そして古典語を再生しながら、考証を深めていきます。
それには、建築、音楽、語学、数学、哲学をそれぞれ事前に学んでいる学生たちだからできます。
表現が豊かで、お互いに肉体的アプローチを持っており、
振付師にプロフェッショナルなアーティストを迎えます。
装飾品と衣装には学芸員や博物館の修復者などがいます。
世界をゼロから構築する学びがそこにあります。
4つ目の宿題で、その世界を実現するために自分ができることを10個あげます
それも、毎日できることでです。
1、教育のレバレッジについて、ケースレポートを増やすため、人の悩みを聞き出す
2、セルフリーディングを徹底するためのアファメーションと言語化をする
3、語学を学ぶ、特に古典語
4、肉体の筋肉を柔軟に保つ
5、人に指導できるシンプルな食生活を実践する
6、経済的に困窮しないノウハウ、金融の勉強と資産を守る方法を学ぶ
7、コミュニケーションの能力を表現の多様化によって学ぶ
8、コピーライティングのスキルを磨く
9、自分の時間のマネジメントを細かく作る
10、精神的にも肉体的にも、自己へのケアと労りを忘れないこと
この10個ですね。
未来を作るレバレッジとは、未来を実際に目の前に見ながら
毎日を組み立てること
それを可能にする教育によって
あらゆる状況を乗り越える、対処できる精神を若く保つことができれば
達成回避不可能とまでいえる確信を持ちたいです。
今日もお読みいただきありがとうございます。
自立の正体
やってみたいこと、実践にうつしたいことをシェアする日です
自立とか独立とかいう言葉を聞いて、何を思い浮かべますか?
もちろん、自分の自立とか、自分の独立ってことなんですけど
一人だけの成功というものを思い浮かべていていますよね
みんなが指導しあって、補い合って
進化を助け合えるとか
自立に対して、そんなビジョンでいる人、あまり見かけないんですよね
自立とか独立とかいうと、人と関わらなくていい
他人はお構いなし、
僕は君たちとは違うよって
一人だけ安全なところに行くよって
そんな心をすごく感じます。
わがままするのに居心地のいい人をパートナーと呼んでいますよね
そういった概念で自立という言葉を用いるのに、
すごく違和感を感じます。
僕はね、自立という言葉を聞いて、
こういったら嗤われると思うんですけど、
みんなの成功って思い浮かべられないものかなって思います。
日本人が足を引っ張り合うのではなくて
よく海外で日本人が一番騙されるのは、
海外在住の日本人だよっていいますよね。
まず9割方そうです
自立ってどういう意味でしょうね
精神科や心理学のお医者さんが書くエッセイなどをよく読むんですが
日本人は自立しないほうがいいって書いてますね。だいたい
自立を履き違えているって
的外れの自立をしているなって感じます。
日本人以外の方とのおつきあいを通して。ますます感じます。
本当の自立って、社会的な関わりの中での責任を感じることなんです。
ああ、日本人はそういう関係を切る事が自立であるかのように教える
社会に生きているんだなと
経済的に自立とかいって、家族には知らんぷり
多分疲れているんですね
自立って憎しみなんでしょうか?
悲しみなんでしょうか。
自立を口にする人からは
苦しみを感じます。
よく「自立します」とか「僕は独立します」って言う人がいるんですけど、
それにすごく社会の洗脳というか、違和感を感じます。
10何年間の義務教育で習った間違ったマインドセット
なのかもしれません。
自己表現 した経験があまりなくて
のびのびと自分の意見を言えたことがないことと
何か繋がりはないでしょうか。
「なぜ自立とか独立を考えるのかな?」って僕はよく思ってて。
「コラボって何で考えないんだろう?」って思うんですよね。
本当の自立の正体って、コラボレーション出来るってことじゃないでしょうか?
協力し合えることが、自立なんだとしたら、
もっと素敵なことだと思いませんか?
とにかくどんなに自分が人に指示を出したり、
アクションをとって命令してガミガミ言ったとしても、
自分のビジョンが無くて、どこに向かえば良いのか分からなかったら、
結局的外れな指示になってしまって、
どこにも向かえません。
ずっと同じところで足踏みをしているよりも
ビジョンに向かっているという自立でありたいですね。
なので、できれば20年先を自分が見て、訓練してそれが見えるようにスキルを磨いていって、ビジョンを見なきゃいけない。
その為にビジョンというものをちゃんと日々考えていくという事
リーダーとは自立することそれ自体ということよりも、
もっと先の
コラボレーションしていくという事を心に思い描いて、
そして伝えようとしている人の事のように思います。
たとえ、それが現実のコラボレーションを生まなくても
補い合い助け合うというビジョンを
心の奥底に持ち続けていれば、
その時に必ず自分の強みにフォーカスして、弱みはカバーし合うという事ができます。
いつかチームプレイする日を心に温めている人
そんなリーダーになりたいなと思いました。
今日もお読みいただき有難うございます。
人は自分の人生はどこにあるのか知らない
僕たちはいつの間にか自分の人生から足を踏み外していることがあります
転落していることがあります
自分は自分の人生を生きているんだろうか、
自分の目を自分の目で見るようなものです。
でも
それを確かめる方法はあります。
自分ひとりで、自分が入院している病室にお見舞いに行くって感じです
そんなこと誰もできませんよね。
何が自分の人生なのか、それは
ビジョンがなければ、見直しはできません。
いつの間にか自分で気づかないうちに
自分自信の心で生きていけなくなるから、
恐ろしいんですよね。
ビジョンじゃないものをビジョンだと思っているんですよね。
自分の足元を見ることと、自分の将来を見据えることって
実は同じことなのかなって思います。
現実的なことばかり言って、
目に見えることばかり意識して
損得や自分の周りのことばかり言っている人は、
実は自分の足元も見えていない人です。
人のことばかり言って、
まだ形もないものことばかり言って、
夢想家の様にいろいろなアイディアやビジョンを語って
楽しい未来や暗い未来について感情が動いている人は
実は将来が見えていない人です。
いくら手にれても安心できません。
未来が見えている人と、自分の足元が見えていることととは
実は同時でなければなりません
近いものは遠く
遠いものは実は近いのです
この一見矛盾した心が実は一つであることをを説明する概念が
使命
という言葉です
真っ先に諦めたり、愚痴を言ったり、人をけなしたり
政治を批判したり、すべては真っ暗だと思ったり、
自分には才能がないと思ったり、人が羨ましいと思ったり
そう思っている人は、自分こそ現実的な人だと思っています。
現実が見えているから、夢が持てないんだよって言います。
使命が見えていない人には、
負けたがっている自分が、
それを現実に見せます。
恐れが、現実ではないものを現実に見せるのです。
それから自分の能力を過大評価して
高額な情報商材を買ってしまったり、
キョロキョロ辺りを見回して、常に良さそうなものに飛びついている
儲け案件だとか、楽に収入が稼げるとか
お子さんの成長にいいですよとか、健康で長生きできますよ
こういう未来志向の人は、
実はビジョンを持っていない人です。
今から逃れたい人です。
今を受け入れたくないから、
今から逃れられるものに飛びつきます。
自分の置かれた状況を直視しないでいられることに没頭したいのです。
教育者は、何かを教える人ではなくて
使命を見せてあげられる人です。
あなたがしなければならないことを
教えてあげられる人です。
ですから、自分の足元が見えていない人や
将来に不安を抱く人が
心の本当のところでは、一番出会いたい人
その人のことを教育者と呼びます。
失敗や転落が怖いからつい先の近視眼的なことしか言えない、足元しか見ていない
今が受け入れられないから、自分を直視できないから未来のことしか見られない
これが使命のない人の特徴です。
感情に支配されています。
感情に支配されている人は、自分が感情的な人だとは思っていません。
感情に支配されていない人は、自分が感情に支配されていると素直に言えるのです。
自分の使命をどうやって感じたらいいのか
その人は実践を通してあなたに見せてくれます。
あなた以上に気づいてくれています。
あなたの使命に気づいてください
と願っていてくれる人を
教育者といいます。
今日もお読みいただきありがとうございます。