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日本最低の山は?そもそもなぜ僕たちは日本一の○○○が気になるのか

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日本最低の山は?
僕たちが分類されたものに興味を持つのは何故か
 
「日本最低の山」は、大阪湾にある天保山という山だそうです
標高4.5メートル
 
そんなの山なのか?と思うかもしれませんが
国土地理院というところでは地図測定上の重要度に応じて
1等から4等のランクに分けて
三角点を測定してきました
 
二等三角点が測定できて、
さらに地図測定上の重要度がある
その中で最低の標高を持っている
それが天保山だそうです
 
最も高い山とか聞くと、
とにかくわかりやすいのに
 
低い山となると
そこら辺にあるちょっと高い土の盛り上がりと何が違うのか
素人にはよくわかりません
 
行政が決めたからそうなの
としか言えないところに
認知特性としての分類の難しさがあると語り始めるのは
生物体系学、生物統計学から分析哲学までを渉猟する騎手
三中信宏さんです
 
分類って面白いですよね
 
日頃山に関心がない人でも
一番低いとか一番高いとか言われると、確かに興味を持ちます
興味を引きつけるコピーライティングの鉄則の一つです
 
 
そもそも科学とは科に分けて考える
という漢語ですから
科学は面白いのです
 
 
それから、女性は特に好きなのが
占い
 
これも、分類です
今月の自分がどこにいるのか
運気が良いから、お出かけしましょ
とか
今月はお財布の紐は固くしておきましょう
とか言われると
信じる信じないは別として、
あ、そうすれば良いのかと
一応は心に残ります
 
僕たちは分類されたがるし
分類したがります
 
ユングのタイプ論では
認識と判断機能とを
僕たちがどのように優先して使いこなしているかを並べて
心理機能別に全ての人を16パターンに分類します
 
内向的なのか外向的なのか
感覚認知なのか直感認知なのか
感情判断なのか論理判断なのか
知覚態度を持つのか判断態度を持つのか
です
 
分類は誰がしているのか
どんな目的でしているのか
その分類は、正しいのか
 
これを考え始めると
実はどんどん思考の迷宮に入って行くのです
 
例えば日本人の苗字で
鈴木さんって多いですよね
 
実はお魚でも鈴木さんは多いのです
 
ドメインという言葉があります
インターネット上のホームページの
住所とも言われる概念として使われていますが
IPアドレスとは別に設定される
○○○.co.jpとか○○○.comみたいなアレです
 
ホームページを迷子にしないための分類ですよね
 
元々は生物分類学上で使われている言葉でした
全体の中の部分を特定する考え方です
 
界・門・綱・目・科・属・種
に分けます
 
クロマグロスズキ目サバ科マグロ属です
マカジキはスズキ目カジキ亜目マカジキ科
マダイはスズキ目タイ科です
カツオはスズキ目サバ科です
 
高校レベルの生物学ではとにかく覚えさせられますね
丸暗記です
でも、丸暗記するしかないくらい
理屈を理解するには深い事情があるようです
 
クジラは魚類かと思えば哺乳類ですし
カモノハシはくちばしがあって卵で生まれるが、乳で育ち、前足は、水かきがあり、後ろ足は爪がある 
というようにどこにでも入れられそうです
 
先に答えを言えば
 
分類とは目的によって決定される
 
ものです
 
一般的に、僕たちは「成功者」を分類するのが大好きですね
自分がどっちにいるんだろうかとか
答えを聞くまではワクワクします
 
財産や権力を手に入れても、最後は酷い死に方をしたり
家族や友人から裏切られた人や
 
一生が悲劇の連続だったけれども、素晴らしい人材を教え導いたりした人
 
生きている間はお金や人間関係に不自由しなかったけれども
その人のせいで多くの人が苦しみ、国が滅びたと評価される人
 
何の変哲も無い生き方で、取り立てて何の趣味もニュースにもならない毎日を送って
でも、毎日が幸せだという自己満足があった人
 
どれが成功者かと聞くと
答えが人それぞれ違いそうです
 
世界はどういう場所か
人間とはどういう存在か
この考え方が違うと、成功の意味と目的が違うことになります
 
それでも僕たちが自分の立場や居場所を分類して
安心したり喜んだり悲しんだりするのは
 
成功とか本質とかに近いか遠いから
 
を確認しているからだと言われます
無意識に、物事を全て見透かしている大きな視点からみると
本質なるものがあるに違いない
 
ということを
誰もが信じているからです
 
このことを心理的本質主義と言います
 
だから、魂ということを本質と見ている人は
この世の成功は束の間のことだから、お金稼ぎが本質的成功ではないと言いますし
 
この世で追求できるバロメーターの一つである
お金の多い少ないを測量すれば
生き様や方法の正しさを測定することは意味があると考える人もいます
 
誰もが例外なくその意味に背後に
本質というものを認めて信じているのです
 
選別する。区別する。判別する。識別する。鑑別する。比較する
とか
人それぞれになってしまう理由です
 
では人類で圧倒的に支持されてきた基準はどうなのかというと
 
全ての生物は完成というものを目的としている
 
という理念で分類をしたアリストテレスさんの分類が
多くの分野で使用されてきました
 
ダーウィンさんの種の進化という考え方が
世界的に支持されてきたのも
 
あらかじめ用意された世界観に符合したからかもしれません
 
「開かれた社会」とその敵という本の中で
 
僕たちの未来にこんな提案をしています
 
人類の政治と歴史を論じて
 
僕たち一人ひとりが、個人的責任の元に決定した結果に直面し続ける社会を
開かれた社会
一方で集団主義的に価値を認められて、その価値観によって一人一人の個人が分類される社会を
閉ざされた社会
 
と定義して
僕たちが生命体として、社会的個人として、
それぞれの完成に向かう存在として
自由であるためには
 
一人ひとりが実験と観察者であることによって
分類と秩序の主人であること
常に誤りを見つけ続ける態度が
本当に科学者であることだよと言いました
 
価値のないところに価値を創造する生き方をするには
僕たちは分類について何を喜んでいるのかを
 
知る必要がありそうです
 
 
今日もお読みいただきありがとうございます