copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

自分の感情の蓋を開けようとする人がコピーライター

f:id:copywriter-jyuusyoku:20180810090621j:plain

僕が何でコピーライティングを
勉強しているのか
ちょっと考えてみることがあるんです
 
僕自身のことを言えば
 
本質を見通す力をつけたい
というのが動機です
 
そして
日本人全員に
コピーライターになって欲しいです
 
僕の中では
こういう分類が出来上がっています
 
コピーライター      
自分の感情の蓋を開けようとしている人
 
 
コピーライターじゃない人
自分の感情の蓋を閉ざしている人
 
 
勝手ながらこんな分類をしています
 
人間関係を円滑にする方法とか
人生を楽しむ方法とか
方法以前に感情の問題だと気づいている人が
どれくらいいるでしょうか
 
僕も長らく理解していませんでした
何か、いい方法があるはずだと思っていました
 
その根っこにある原因が感情だとは
思っていませんでした
 
結論から言います
現代には
感情の力を封印したままの人が
圧倒的に多いのです
 
そして、コピーライティングに感染しやすい人も
感情を封印している人がそれに比例します
 
大塚英志さんの「おたくの精神史」という本があります
 
 「大人になる」ことをつまらないと言ってしまうひとには、
 
じぶんたちがあたり前のように社会化できてきたことが見えていない。 
 
どうやって、じぶんがじぶんになることができたのかわかっていないし、
 
それがどれだけしんどい作業だということを認識していないのだ。
 
 
80年代という溢路を記述するためにぼくが極めて主観的な方法をとったのは
この溢路を「他人事」として相対化したくないからだ
 
と結んでいます
 
最近になって
よく聞く様になった
コピーライティングとか
コピーライターという言葉からは
 
胡散臭さしか感じません
 
売り上げが6倍になります
とか
言い方ひとつで人の気持ちを変えられますとか
 
人を騙すテクニックであることを嬉々として
宣伝しているものが多いです
 
寂しいです
 
人を騙すテクニックとして
コピーライティングという言葉が認識されるのが
残念です
 
ここでいきなりコピーライティングというスキルの
種明かしをすると
 
感情を再発見するという共通点があります
 
感情に瞬時にリンクして引き出される言葉だから
意識して目が止まります
 
次に、記憶を辿りはじめます
 
過去に経験している情報を
掻き立てられます
その一言で
確かにイメージが膨らみます
 
日本の広告コピーでは60年くらいの歴史があります
日本の広告コピー業界がしてきたことは
 
新しい個人の生き方を社会化することでした
言い換えれば
 
日本人の孤独と後悔を麻痺させることでした
 
1985年にはカエルコールというキャッチコピーが流行しました
家に帰っても寂しい人や
仕事が忙しくて家族の団欒が持てない人
故郷に残してきた両親がいる人
たちにとって
 
帰るという言葉に
様々な感情が掻き立てられました
 
コピーライターは
 
人間が合理的な存在ではなく、感情に左右される生き物であり、
無意識のうちに操作されやすい、ということを熟知しているんですよね
 
人々にお金を使うよう仕向けるべく、
隠されたメッセージや
巧妙なデザインがあります
特別な効果を引き出す音楽があります
 
アップテンポの音楽には
その音楽を聴かせることに意味があります
 
愚痴を言うのも、無意識で感情のエネルギーを放出しようとする
足掻きかもしれません
 
自分の寂しさや
張り合いのなさ
恐怖の感情
を言葉にしない分だけ
 
人の言葉に反応してしまいます
 
人間にとって豊かな感情
 
糸井がうれしいと喜ぼうと消費者に語りかけているのは、階級が喪失し、誰でもが等しく豊かになった事態であり、中流幻想の左翼的肯定こそが根幹にある・・戦後の日本社会が富の再分配を徹底した一種の社会民主主義国家に関わっている」
 
仙人さんが提唱する
黄金の国ジパングというキャッチコピーについて
考えています
一見使い古された言葉に見えますが
 
 
この国はもうダメかもしれない
という思いが
 
多くの日本人の心の奥底にあるのかな
それを認識させたい言葉なのかな
と考える様になっています
 
 
現状維持していけば
何とか生きていけるんじゃない?
と考えている人たちにとっては
うるさがられようとも
警鐘を鳴らさずにはいられない
 
僕の考える
コピーライターが書くべきもの
 
セールスライティングする商品とは
日本人の未来です
 
もちろん僕が日本人の未来を
在庫の様に倉庫の中に所有している訳でもなく
見てきたかの様に
わかっている訳でもなく
こうなるべきというビジョンを持っている訳でもないです
教育はどうなるべきとか
いちにちの労働時間はこうあるべきとか
どういった食べ物を食べるべきとか
人間関係はどうあるべきとか
老後はここに入るべきとか
子供は何して遊ぶべきとか
全ての業界で指し示すだけの知性も
ありません
 
でも、多くのコピーライターが書いている様に
美味しいものが、食べたいものが食べれて
好きな時間のお酒が飲めて
仲良くなりたい異性とロマンチックに慣れて
時間に制限されなくて
生きたい様に生きて
という言葉に感情を掻き立てられて
 
そんな行き当たりばったりの欲望で
 
理想を思い描いて我慢する習慣も無くなった
便利な商品を探してばかりの
コピーを読むだけの立場に立たされた人間に
だまして奪い取るだけの資産価値がなくなった時
将来が約束されているとは思えません
 
死んだ人間に対して責任を負うからこそ
生きている人間に対しても責任を負えるのだと思っています
 
死んだ人への無念と後悔と悲しみを麻痺させない生き方こそ
僕がコピーライティングを学び続ける理由です
そして
全ての人に感情と向かい合うコピーライティングを学んで欲しい理由です
 
コピーライティングを感情レベルで説明している教材はこちらです
 
今日もお読みいただき有難うございます