copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

生き方を追求すれば追求するほど 僕たちは生きられなくなる

こうあるべき生き方
自分自身が納得する在り方
失敗のない人生
悔いのない人生
 
どこの本屋さんやブログでも
これを欲しがってる人で
いっぱいです
 
人生の答えが分からないと不安ですが
分かったら分かったで
心から望んで
立派な生き方をするのがシンドイです
 
この世の誰にとっても
同じだけの正しさを持つ
この世界の説明文ってあるんでしょうか?
 
最近の世の中では、
自然科学を筆頭にして
そういう説明文やモノサシがある
という前提が僕たちを追い回しています
 
僕たちは現代という時代に見合うだけの生き方ができなければ
淘汰されてしまう、いない方がいい
時代に合わない人を追放するっていう考え方です
 
おっさんよ、さようならとか
 
何か不適格者を見つけて
ある一つの世界の奉仕者になれない人は
いなくなってくれ
と言っています
 
不適格者を見つけて、その人の居場所を炎上させます。
これ、放火して火あぶりにして
抹殺しようとしてるんですね
 
そうすると安心する
 
近代という時代が
専制政治や過剰な暴力を追い立てるかのように
 
政治的に成熟し、法整備を綿密に検討してきた
そもそものモチベーションは、
 
僕たちが生きられる世界を守るためでした
 
 
多様性だとか個性だとか自由とか
そのために大切に育まれた言葉です
 
もし、生きられない世界に追い込まれ
居場所を失う僕たちは
世界を恨むしかありません
 
僕たちが生きる意味を失わないためには
どこまでも世界と競争しなければならないんでしょうか
 
意味を見出したところに
世界という言葉を使ってきたのが近代ならば
 
僕たちにとって自由を失わせる世界は
近代という自由を与えるモチベーションとは
違った意味で
いつの間にかできてしまったのでしょうか
 
世界をどうあるべきか
という事ばかりにこだわり過ぎて
 
教科書どうりに
鬱社会が出来ました
 
一体
人間の自由と両立可能な世界とはどのようなものか
 
 
このことを世界は存在しない
というキャッチーな言葉で問いとして投げかけた人が
マルクス・ガブリエルさんです
 
 
私は脳ではない
 
マルクス・ガブリエルさんは、とあるインタビューでこう言っています。
 
ーガイストすなわち精神というのは、「なぜ私たちはたんなる自然の塊の一部ではないのか」ということについて想像しうるという人間に備わった能力のことです。
すなわち精神の立場というのは、私たちが哲学を行う立場そのものです。
つまり、私たちが精神と呼んでいるものは、人間が哲学を行う者であるということの別称でしかない。
それはつまり私が哲学を行う、思考するということをたんなる自然における一つの出来事に還元できない、ということを表しています。
つまり、思考の中で自然科学的世界観が批判もしくは否定されるということです。
科学主義は人間がなぜ思考できるかということについての理解を提供できません。
そのためそれは常に思考を随伴現象として説明することになります」
 
 
世界が存在しないからこそ、意味の場が存在の根拠になるというのが彼の主張です。
 
「存在するものは、すべて意味の場に現象します
存在とは、意味の場の性質にほかなりません
つまり、その意味の場に何かが現象しているということです
わたしが主張しているのは、
 存在とは、世界や意味の場のなかにある対象の性質ではなく、
 むしろ意味の場の性質にほかならないということ、つまり、そ
 の意味の場に何かが現象しているということにほかならないと
 いうことです」

 

「世界」以外の全ては存在する

面白い考え方だと思われたら、ぜひ手にとって見てください

今日もお読みいただき有難うございます