copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

闇の中で黒牛が黒豆を食べているのが見えるか

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闇のスキル
 
ゲーテという詩人は言葉について深く洞察した人です。
東西詩集という、ヨーロッパ人だけではなくアジア人の価値観も尊重した
考察を残しています。
古今東西の世界をステージにした幅広い探究心で言葉を見つめていた
たいへん珍しい人です。
今日はコピーライティングという言葉でセールスするテクニクを14年以上
研鑽してきたある人への質問を書く日です。
コピーライティングのスキルも言葉の背後に常に見ているものがあります。
それは人間の闇です。
コピーライターとは、人間が感じうる光と闇の感覚に自らを立たせるうちに
精神に異常を来すとまで言われます。
しかし、仕事の性質上、全く表に出てこない人たちです。
自らを目立たせるとクライアントと衝突しています。
 
ですから、自分の存在を文章に潜ませます。
言葉と言葉のつながりに異常なまでに固執します。
単語の選択だけで
読み手に高揚感や恐怖など悲喜こもごもの感情をチューニングします。
そして、書かれた文章は、名文とは思われません。
深く影響は与えるけれども、表面上では忘れ去られることが多いです。
 
どこまでも闇の中に身をおき、自らの評価を求めないです。
その価値は、文章がどれだけ実際にお金が動き、
歴史が動いたかで判断されます。
 
 
それも、書き手しかわからない仕方で
巧妙に仕掛けられます。
 
ですから、それは知的文章術ですらありません。
美文というよりは悪文ですし、
読後感がいいとも限りません。
適切な長さでもありません。
高尚であるよりは下劣であり
深く味わわせるよりは
誤読をすら歓迎する傾向があります。
 
昔話にこういうものがあります。
ある男が自分のことを大層な画家だと嘘をついて
舌先三寸で村人を信用させ、大いに接待させます。
 
ご馳走を饗応されて楽しんでいるところで、
紙と筆が手渡されます。
「先生、一筆お願いします」
 
しかし彼には実際は人より優れた画力はありません。
嘘をついてるのがバレます。
 
そこで、筆に墨をたっぷりとつけて
紙を黒々と塗りたくります。
 
村人は訝しく思うのですが、
先生、これは何を描いていただけたのでしょうか
男曰く、闇夜でたくましく美しい黒い牛が
黒豆を食べているのだ
と言い放ちます。
全てが黒いのだから、いかに優れた表現であろうとも、
凡人には黒くしか見えない
というオチがつきます。
 
コピーライターは本当に闇夜で黒牛が黒豆を食べている姿を描ける
その男です。
 
しかし、書き手は表現者としての自己を突き放し、
書き手の中に葛藤が生まれます。
 
どうやったらコピーライターは闇に落ちなくて済むのでしょうか。
これが今回の質問です。
 
いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない
 
容易に想像できるのは、
コピーライターにとって
いつかはゴールするという生き方では、心は闇に落ちるでしょう。
文章そのものが心理の深いところで体験された経験であり、
自らの犠牲をものともしない精神力で作られます。
 
いつかはゴールに達する気軽さではなく
一言一言に渾身の力と責任を感じる人には
闇の力に帯電します。
 
例えていうならば、
いつかは幸せになれるという生き方と
一日一日が幸せである生き方と、
を選択するようなものです。

幸せになるためには、
現実を変えるアプローチと、
心を変えるアプローチの2つがあると思います。
前者は「○○たら、幸せになれる」という考えで、
後者は「今のままでも、幸せになれる」という考えです。

「○○たら、幸せになれる」だけだと、
「○○にならないと、幸せになれない」
 ということになってしまいます。

現実を変えるアプローチと、心を変えるアプローチの両方が
僕たちの心にあることを知った上で、
片方を捨て去る気概が
コピーライターには求められていると言えます。
 
 
「何事にせよ、取るに足りない評語は笑殺するくらいの度胸がほしい。自分のすることに自分が納得していることが、いちばん大事なことである」
そして
「自分の仕事に興味がもてれば、人のことを気にしているひまはなくなる」
今日もお読みいただきありがとうございます