copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

無価値で無様になれ

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今日は愛の集客の授業を聞いて
それを受けてより深いところに
学習内容を落とし込むためのエクササイズの日です。
聞いて感動するだけではなく、
自分の実践という深いところまで落とし込むことができれば
そして行動の種が毎日の少しの時間に植えつけれられる場所を見つけられたとしたら
知らない間に根をはってくれるのです。
僕たちは自分に自問自答します。

15年間無賃金無報酬でも続けられることはなんだろうか。
つまり無益です。そして一連の活動は無自覚で継続できるほど当然で
痛痒すら無いのです。
ですから無許可で無申請で無価値で、時間の消費は無尽蔵です。
人から見れば無目的で無根拠と思われます。
おそらくそのプロセスも無茶で無体です。
無様です。

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なんかこう書いていると胡適の八不主義を思い出してきました。
ちなみに八不主義とは建設的文学革命論に置いて、
中国文学をヨーロッパ文学の世界観と基準に晒すための
試験石として胡適の壮大な実験的実践のことです。
清末を経て技巧が極限にまで達している文学は
内的な解釈の歴史がなければ一般人には理解不能なものでした。
それら文学と呼ばれた文筆活動一般すべての常識を
いうなればアドバンテージを全て捨て去って
中国文学が世界文学足り得るために捨て身になった瞬間でした。

彼は確かに蒋介石の元で初代アメリカ大使館の大使になっていますが
その根本にあったのは、解体という行為奥底にあったのは
古典文学へのオマージュと僕は思っています。
「今日の白話文学は(俗的で無教養な言語の残滓ではなく)
一つの独立した言語である」
「であるから白話は達意を重んじるということで、その熟達によって
その優美さを可能とする。しかしながら達意のない文章とは美しくはない」
「白話は文言の遺産をすべて受け継ぐものである、しかしながら
文言は白話の優越点を自らに受け継ぐことはできない」
より世界的な言語形態へと開かれない文学が
いかにして命を失っていくか
そしてその担い手がすでに大衆になっているという
期待と絶望なのです。

不做「言之無物」的文字。
不做「無病呻吟」的文字。
不用典。
不用套語爛調。
不重對偶:──文須廢駢,詩須廢律。
不做不合文法的文字。
不摹仿古人。
不避俗話俗字。

『概念』が実際にどのような効果を生み出すのかを問えば『真理』の意味がわかる

さて、僕がやろうとしていることは本物だろうかという問いを自らに立てるというものです。

全ての予定と計画が崩壊して
現状を支えている全てが失われて一人ぼっちになって

一文無しになって
友達がいなくなって
刑務所に入れられても
それでも続けていくもののことです。
それはなんなんだろうかと自分自身に聞いてみることです。

それが決まれば他の小さな問題は
恐れは
自然と解決していくものです。

今日イプセン、ハウプトマン、フランスのブリュー
スウェーデンストリンドベリ
イギリスのバーナードショーやゴールズワージ
ベルギーのメーテルリンクのように
戯曲を持って文学を主導していった人たち
彼らは生涯を通じて社会と個を見つめ
時代的真理を問うていました。

僕の一生の仕事もおそらく文学とかかわる
コピーライティングに対してのものになります。

人生の大病根は世間の真実の現状に目を開けたくない
耳を傾けたくないところにある
社会を改良したければ、まずイマの社会にまともな人間がいない
ということを認めるべきである
しかし、これがみんなわかっていない

胡適はそのように自らの主義を立てていったように

https://www.xschool.is/JrA_Sales/?vid=ImoG6A7V3Z

今日もお読みいただきありがとうございます