copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

子供を世間の餌食に差し出す親達

 
 

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学ぶことと影響されることの違い
 
 
やってみようと思っていることをシェアする日です。

 
学びなのか影響されただけなのか
 
基本的に人は学ばない
影響されたがる
 
という言葉をプッシュしてみたいなと思っています。
 
三島由紀夫さんはこう言い残しました。
無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、 抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るだろう
 
 
多くの国際人からは、日本人の精神は
からっぽ
という評価をいただいています。
 
何を指してからっぽなの?
と言われると思うのですが、
 
一言で言うと、
 
学びと影響を勘違いしている
というところにあります
 
そして最近亡くなられた
西部邁さんは
こういっています。
 
「小さなデマゴーグがよく似合っているのが
今の日本人」
 
デマゴーグとは民衆を、つまりデーモスを牽引するひと
民衆扇動家というふうな意味になりますが、
 
 
「おまえもなー」
から生まれたそうです。
 
 
その時の民衆的な価値観、感情に同化同調して
旗を振り合って
手を取り合って、
支え合って
共感しあって
影響されている
ということです。
 
あなたは
影響されることと
学ぶことの違いを説明できる方ですか?
 
いくら周りの人が正しいといっていても
同世代の人があなたと違うことをやっていても
 
これと決めた事ができていますか?
 
僕たちは一人一人
 
自分軸を持って
 
世界に尊重されるべき素晴らしい才能や
 
個性を羽ばたかせることができます。
 
それが可能なタイミングに生まれ合わせたという
 
有難い時代に生きています。
 
それと同時に、
 
学ぶことと影響されることが混同されて
 
かけがえのない、自分の才能だと思ったものが、
流行によって、一過的に支持されていただけのものだったり
 
個性や自分の意見だと思ったものが、
誰かの考えや、価値観を代弁させられている
 
油断の出来ない時代に生まれ合わせています。
一生を誰かの操り人形でいてしまう
 
それも無自覚に
 
そんな有難くない時代に
同時に生きてます。
 
 
無自覚に影響されていること
 
のからくりを知りません。
 
物心ついたときから、
もっと言えば生まれた時から、
 
両親や先生から
「学ぶ」という環境と習慣を
価値あるものとして受け取っていなければ
 
一人一人の判断力や価値観が身につく前に
人を操りたいと思っているビジネスマンたちに
影響される道を歩みます。
 
 
本当の個性が身につく前に
 
宣伝された広告の価値観を
個性だと思ってすり込みます。
 
 
 
子供の自主性を伸ばすとかいって
子供に意見しない、
価値観を押し付けない
叱ることのない
そういう親御さんがいらっしゃるそうですが
 
親が願いを持って
我が子に「学ぶこと」を教え与えなければ
 
子供達は餌食になります。
 
身を守ることを知らない無垢な子供達は、
誰かの餌食になります。
 
必ず悪意を持った人達から
影響されます。
 
社会や世間から学ぶだろう
そんな自浄作用を持った
 
楽観できる世間ではないです。
少なくとも現代はそうです。
 
本人の意思に任せる
そして何も言わない物分かりのいい親でいて
 
子供が何か不幸な決断をしようとする時に
止めることはできません。
 
そんな虫のいいこと、できません
 
不幸な決断をするまでに
放置していたんです
 
学ぶことを教えずに
影響されるがままにしてしまったんです
 
不幸を止める力
 
それが学ぶということではないでしょうか。
 

仙人さん最後のビジネスモデル

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