copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

10年後、人生を後悔するかどうかの分岐点

今日はやってみよう、実践してみたいと感じたことをシェアする日です。

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「見てから信じるといったら、
証拠を見せてくれたら信じるという人には、
いつまで経っても見えないものがあるよ
最後まで絶対に見えないものがあるよ」

 

この言葉が心に響きました。

 

人生の分岐点って、ドラマや映画の世界だけでしょうか?

 

この時この人に出会っていなければ
この言葉に出会っていなければ、今の自分はいないって

 

そんな出会いがあるってこと。

 

明らかに、あれが人生の分岐点だったって

それは、見える世界が変わったんでしょうか?
それまでも見えていた世界のはずなのに。

いつも一緒だった仲間と

楽しいことも、辛いことも共有していた仲間と

 

ある時決別して、

その後の人生10年経って


全くそれぞれ別の人生になっていて、なんて

ドラマだけの話にしてしまいますか?

 

後悔して羨ましいという方になるのか
あの時だ、あの時彼と違う道を選択したんだ
と10年後言える方になるのか

これ、実際の自分の人生の話ですよね。

 

信念が変わった時だけに
こういうことって起こります。

イソップ童話
アリとキリギリスという物語
誰も知っているはずです。

生物の種としてのアリさんとキリギリスさんを勝手に人間の価値観に当てはめている寓話ですけども

夏の間も、アリたちは働きづくめです
夏にキリギリスはバイオリンを弾きます
そして冬がやってきて
キリギリスは食料を得ることができなくて、寒い冬を乗り越える安住の地を見つけられなくて
夏の間の時間を懐かしむというお話です。

 

これ、実は勤労の美徳とか価値を教えるっていう教訓の物語じゃないのかもしれません。

 

人生の冬がきて、人生の夏を懐かしむ
という教訓は
誰もが理解しています。

でも、目の前の自分の価値観や判断だけを信じている僕たちは
自分がキリギリスであることも知らないで
自分が快楽主義者であることも知らないで


その場その時間を「現実的に」「常識的に」「計画的に」「打算的に」
生きています。

誰もが自分は現実的に生きているって胸を張っている時、
それそのものが刹那的に生きていることなんだって気づく心、
それがアリなんです。


信念とか信じるという言葉には
僕たちはそれを可能にする世界観をまず無自覚に信じていて
その世界観の上でだけ信じているんですよね。

 

僕の師匠である仙人さんが

自分に投資するマインドになった時のエピソードです

どん底の生活だったそうです。

治安の悪いシェアハウスで、

その日暮らしで、

毎日の食事もままならないところで、
ジェイ・エイブラハムのマーケティングコンサルのカセットテープに

 

当時60ドルしかなかった貯金を投資して
自分はこの道を歩むんだ

という信念を持って
と自分を信じる方向へシフトしたそのマインドこそが
その時黒人ハウスで同室だった人と
その後の人生の最大の分岐だったというエピソードです。

そんな無駄な投資、1ドルで1回とすれば60回分の食事代金だよって言われて

 

それでも、ジェイが1時間の経営コンサルで5000ドルも謝礼を受け取る人だよと話したら、
馬鹿にされて、
「たった一時間の相談料で5000ドルも払うなんて、
そんな馬鹿なやつがいるのか、見せてくれないと信用できない」
というふうに馬鹿にしたそうです。

百聞は一見にしかずって、誰もが思うことですよね

証拠を見せてくれたら信じるよって

 

その後仙人さんは成功者の人生を歩みました。

その時同室だった黒人はどうなったかはわかりませんが。

 

証拠は見せられなかったでしょうけど、彼自身が証拠になりました。

 

これは信念の作用です。

 

信念って、証拠があるから信じるんでしょうか?

目の前に見せられたから信じるんでしょうか。

 

でも、信じるという精神的決断、マインドには
僕たちの知らない深い複雑な構造がまずあって

子供の頃から見せられてきた世界だったり、
心の摩擦だったり、人付き合いだったり、

その土台の層を構成している、アイデンティティー、世界観、価値観、などの条件が整うことで
僕たちは初めてその決断をしていることには気付いていませんよね

百聞は一見にしかずと言っても、自分のみたいものだけ見ていることに
気付いていないのが僕たちなんです。

証拠を見せてくれたら信じる。。
この常識は、僕たちが世界をありのままに見るためのブロックになっているんです。

 

世界観を変えるためには、まず自分が信じないと世界を変えることが出来ない
だから信じ始めない限り、それは見えないから信念って面白いんですね。

 

見るのは、人間の知覚認識では最後なんですね
行為としては最初だと思ってますけど
認知心理の機能としては最後に訪れている

だから、自分が持ちたい信念をまず持つこと
そうすれば順番として自然に
世界の成り立ちが見えてきます。

誰のお陰で目の間の出来事があるのかに注意を払うようになります。

存在とは何かに意識が向けられるようになります。

ルールとは何か
この世界を成り立たしめているものは何か

この世界に何を期待していけるか

そんなふうに、自分を取り巻いている世界や時間や人間に
価値を感じられるかどうか

あなたはそんな出会いをしましたか?

自分の見ている世界が実は自分の見えている世界とは違う世界であると見える瞬間にです。

世界が当たり前じゃないことに
人間という存在が卑怯な、自分勝手な存在じゃないと言える瞬間にです。

その時初めて自分の可能性も信じることができるようになります。


まだだったら、静かに急いでください
自分の分岐点がこれだったと言える時間に
いつか立ち返ってみる時のために

感謝すべき人が誰だったのか
出会うべき人が誰だったのか
大切にするべき人が誰だったのか

実は出会い続けているんですね
信念の持ち方がニアミスをさせているだけで

百聞は一見にしかずとか言って、
僕たちは
ニアミスをし続けているという呪いをかけられているのかもしれません。
信念なんて持てないって
そんなニアミスを

現代社会は、僕たちに強いているのかもしれません。

 

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます。