copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

戦国武将のなりかた

戦国武将のなりかた

今日はビジネスの人物を紹介する日です。
ビジネスで大事なスキルやマインドセット
習慣とはなんなのでしょうか。
そういった言葉や行動が明らかになると
面白いなと思っています。

今日取り上げるビジネス人物は武田信玄です。
最近おんな大名の直虎さんの大河ドラマを某テレビ局が放送していましたね。
私は見ていませんが面白かったですか?

実力的に拮抗していた当時の関東の政治情勢を最も理解し
戦国武将の攻防の流れの中で自分の役割をよく汲み、
信濃の国の平定と、人材と資源そして戦闘集団と法律を育てた人として
とても有名ですね。


彼の足跡を半ば神格化した物語として甲陽軍鑑という軍記物があります。
諸葛孔明になぞらえた、そういったエピソードを語るものが多くあります。
物語になっています。
後から徳川方に支えた家臣によって作られた書物ですので
もちろん政治的思惑があります。
すべて鵜呑みにするわけにはいきませんが、
人となりを示す面白い逸話です。

19歳の頃でしょうか。
多感な時期です。
父親との確執があった人ですから、歌舞いておりました。

戦国武将のなり方とは父親との確執を歌舞伎ものとなって乗り越えることです。

19歳の時、彼は引きこもってお座敷遊びをしていました。
若い女の子を集めて詩作に興じていたと言います。

若君の将来を嘆いて立ったのが
傅役という教育係には板垣信方さんという実直なおじさまがいまして、
ある作戦を思いつきます。
板垣さんは自分の屋敷に詩作の得意な先生を招きます。
そして病気と偽って一月ほど職務を休む申し出をして、
先生についてじっくり勉強します。

そして、満を持して信玄の前に現れます。
「一首読ませてください、お題をください」

びっくりしますよね
それまで自分の行いに対して批判的だった板垣さんです
若、なにやってんですか、それではいけません
と言われ続けてきたわけですから、意外にお思いつつ

でも漢詩を読む教養もなかろうとバカにしていたところでした。
あまりにしつこく「題をくれ」というものだから
題を与えて歌の会に参加させてみるのです

すると、板垣さんは見事な詩を詠みました。
不審に思った信玄は、また別の題をだします。

信玄を感服させる見事な詩をまた即座に即興で作る板垣さん

信玄も賢い人ですから、あらかじめいくつか準備してたんだろう、と思って
さらに3つほどお題を出して詩を作らせますが、
そのような難題も見事にクリアします

さすがに信玄は驚いて板垣さんに尋ねます。
いつのまにそんな見事な詩を作れるようになった?
そして板垣さんは、ここ1月あまりで死ぬ気で習得しました。
と嘘をついて休んでいたことを白状して
こう言い放ちます。
「あなたがいつも熱心になっている詩作は、私が1月ほどで学んで身に付けられる程度の教養ということです。
それよりも国を任されている大将たるや、その国の経営方針から人材育成しかり
他国から攻め込まれた時の対応まで、見事にやってのけるにはもっと時間のかかる技術です。
今から励んでもお父様ほど上手にできるかどうか」

この一言が、信玄を国家経営に向き合わせることとなったようです。

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 あだは敵なり」
という言葉を残したと言われていますが、
真偽は別としても人材の大事さ、スキルの大事さを身を持って知っていた信玄さんが一番大事にしたのは先生でした。

戦国大名は領土の取り決めや、領民への待遇、
戦の大義名分などを記して神仏への祈願文を奉ったりすることが
頻繁な時代だったのですが

信玄さんのそれは、延暦寺園城寺などをはじめ、
内容の真剣さや書いている枚数が
並み居る戦国大名の中で最も多く、今でも残っています。
実際に有名な真田十勇士はそれら寺社から寄せ集められた奇人達でした。
勝仙院や台密慈寛流の聖眼などから
騎馬術、槍術、忍術などを学び、家臣達に教育させたのです。
教育を資源として、その資源の上から未来を見る雄略
これが信玄の真骨頂です。

物や形ある資源に頼らずに、未来から計画をつくる才こそが
ビジネスの慧眼なのです。

https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#FslA4T

今日もお読みいただきありがとうございます