copywriter-住職’s blog

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聖書と西国立志伝

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今日はブックレビューの日です

今日取り上げる本は旧約聖書です
ビジネスは単なる生活の手段ではありません。
ビジネスには勤労と倫理が関わっています。
ビジネスを人間の使命として自覚を促すのが
聖書という書物に説かれている思想です。

よくお金儲けとキリスト教の考え方とは相反すると
考える人が多いのですが
先入観を外して素直に文章を追っていくと
違った発見があります。
結論は最後に出しても遅くないと思います。

事業の成功は神の祝福に属するのですが
事業にかける汗と知恵は人間に属します。

実に4000年にわたる事業家たちの歴史が織り込まれている西国立志伝が
旧約聖書であると言えます。
たとえば、詩編126篇では

涙とともに種を蒔く者は、
喜び叫びながらそれを刈り取るだろう
種入れをかかえ
泣きながら出ていく者は
束を抱えて
喜び叫びながら帰ってくるだろう

世俗における最大の成功者であるダビデ王は
繁栄と富とをもたらすものは義であると教えます。
義とは神の前に正しくあることであり、惜しみなく施し
貧窮するものに与えることがその具体的内容です。

勤労と信仰が必要条件になります。

アダムに対しての要求はこうです

生めよ、ふえよ
地を満たせ地を従えよ
海の魚、空の鳥、
地を這うすべての生き物を支配せよ

これは創世記ですね。
自然界の管理をしなさい
支配しなさいという命令を下していますね。

考えてみればすごいことです。
管理技術のあるかどうかわからない、まだテストされていないアダムに
作られたばかりの世界で、その性質もわからないのに
すべての管理を任せるのです。

管理の技術とその知恵を与える約束をしたのだと考えることができます。
自然の中にその叡智は隠されている、
時には人生に試練を与え、その苦しみの中で悟らせる。

被造物の空間的顕現と時間的存在そのものが、神の律法に出会うことを意味するのであり
これはつまり責任そのものを教えとしなさい
と教え示していると言えます。

秩序づけ、統制し、管理するという行為を可能にするものとして
お金が意義付けられた背景というものが物語られていると同時に
被造物にとどまらず、神の御心にかなう運用をする責任を与えられているのです。

「神のさまざまな恵みの良き管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい」と
ペテロはいいます。
その責任領域は、単に物的領域から、霊的領域にまで及ぶところに
その世界の共同管理者である政治的範疇が生じます。
それら他者労働と余剰利益を巡って論争されるものが経済学なのです。

マタイやルカで引用されている商売という概念は
英語で表現すると
put his money to work
という綴りになります。
直訳すると「お金を働かせる」というものです。
ここに事業とは管理し統制し、秩序づけて
共同的生において支え合い、神の御心を実現するために使役するために働かせるものがお金であり
投資が意義付けられます。

それゆえに間違った運用に対しての調整機能こそが
本来の創造の姿に戻されるという寓意をとります。

それは、被造物が虚無に復したのが自分の意思ではなく、
服従させた方によるのであって望みがあるからです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
神の子供たちの栄光の自由をのなかに入れられます。
私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています」
パウロはローマ人への手紙によって
イスラエル救済からの歴史を追って
人間の事業経営の有り様を判別することになります。
それは人間が罪を抱く時、また世界も罪を抱きその責任を負わされる
神はそれを傍観するに忍びないという教えへと発展していくのです。

ビジネスを心がける事業化は是非聖書を紐解いてみてくださいね

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます。