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自由であるために必要な秩序について

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自由であるために必要な秩序について

今日は仙人さんに質問をする日です。
第8話を聞いてみました。
教育レバレッジについてなんですが、
レバレッジとはてこの原理のことだそうです。
同じ動力、同じ体重であっても、
レバレッジという言葉を使うことによって、ちょっとした工夫で
ピンポイントで位置をずらすだけで、重力を倍にできたり
効果を倍にできたりしますよね。。
また反対に、ちょっとポイントがずれると、労力や時間も倍かかってしまったりする
という
ステップアップするためには、こういうセオリーが必要になりますよ
というポイントを教えてくれています。

取り組む時には、てこの部分を探す
教育では、何が梃子になるんでしょうか。

そして、親にはできないことで、教育者にしか出来ないこととの

明確な違いがなんなのか、を、教育者は知っていなければならないのです。


才能や疑問、興味関心を
引き出してあげること、
感情を育てて、膨らませること
一緒に走って、いろいろな可能性に誘導してあげること
生きる上で必要な教育とは
人間を自由な相違工夫、そして独創性を引き出してあげること
いわば自由のためのものが
それが教育だとするならば、

その自由を確立するためのセオリーとは
守るための秩序とは何なのでしょうか。

子育てと同じように、怪我しそうなポイント
何百回と起こるトラブルや面倒ごと、
フラストレーションなど
それくらい、起こりうることは未然に予測できるんですね

そういったポイントポイントのことは、すべてレバレッジ
梃子ということが 出来ますよね。
そのポイントポイントの探し方ってどうやるんだろう
というのが、今回の質問です。

具体的なステップの根拠ですね。
どういった発達心理学の根拠を持っているか
発生学もそうですし、
ステップアップ、カリキュラム作りの順番はなぜこの通りなければならないか

そして最大の疑問点が、自由であるために必要な秩序とはなんであるか

教育はどのポイントからビジネスになるのか
というところです。
ボランティアではなく、親ならば誰もが子供に与えるものとは一線を画して
プロとして有償、
お金いただく教育と呼べる誇りというか、信念は
どこで線引きされるかという問題です。

陥ってしまいがちな落とし穴がたくさんあります。
自分が正しいことをしてれば、
必ずいい結果がやってくる
という都合のいい期待であったり、
誰に対しても公平であれば、自分の職責を全うしている
という怠惰であったり、
わかる人だけに伝えることが出来れば、
すべての人に伝わる必要はないと思ったり、
教育は最終的には愛情を注ぐことと思って
ビジネス化することを避け始めたり
良いものは自然と広がると思って、
一人でも多くの人に伝えるという工夫を怠ったり、

とにかく逆のレバレッジをかけてしまう落とし穴も
回避しなくてはなりません。

人類が教育してきた本質に迫ることと
教育のレバレッジを一つ一つ拾っていくことは
結局は同じことに行き着くのではないかなと考えます。

そして、理念やビジョンばかり先行している中に
いかに多くの教育の機会が失われているか
という反省に立つ視点をあたえてくれるものと確信します。

 

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます。