copywriter-住職’s blog

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金八先生はセクシーか

金八先生はセクシーか

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今日はこれをやってみよう、実践してみようということをシェアする日です
第6話の内容はとても興味深いです
それは教育者はセクシーであれということが繰り返し出て来る
型破りなスローガンですね、こういったことを考察させながら
とても大事なことを言おうとしているなと感じました。

愛を感じる先生の代表は
テレビドラマの金八先生です。

では僕たちはどこに愛を感じているんでしょうか。

仙人さんはこういいました。

生徒に学ぶ力を与える=セクシーなエネルギーを与えている

セクシーであるとはどういうことなんだろうって
僕たちはあまり考えずに生きてきたかもしれません。

セックス=生命エネルギーというふうに考えてみると、

僕たちは勘違いをして、肉体的なものばかり考えているように思います。
肉体、裸体というか性交という行為そのものにタブーを設定して
セックスの本質、僕たちにとって性とはなんだろう
という問題を考えずに来ています。

エネルギーとは
欠乏が埋められた瞬間に満たされてくる気持ちのことです。

「この先生に応えたい」という気持ちですね。
「もっと頑張りたい」とか「もっと学びたい」
「結果を出したい」とか、そういう感じのことですね。
その先生の言葉が胸の中にグングン入ってくる感じです。


興味深い映画を見ました

松永大司監督の「おとこのこ」という映画です
20分程度の短編映画です。

主人公は卒業を間近に控えた中学生です
14歳くらいでしょうか。
毎日同級生にいじめられています。
髪の毛を切られたり、四つん這いでサッカーのボール役になったりしてます
もう一人一緒にいじめられている友達がいるのですが、
一方の彼は淡々と自分の心を封印することに慣れてしまってきている
でも、主人公は自分の自尊心というか、そろそろ限界が来ていると友人につぶやくまで追い詰められています。
そんななか、塾にもいけなくなった主人公には、家庭教師がきてくれます
年上の女性でセクシーな家庭教師の性的な魅力に惹かれて
主人公は愛情表現を求めるんですね。
おっぱい見せて欲しいとか、触らせて欲しいとか
そういった要求をするようになります。

そこには性への目覚めというか、邪さ、性的興味の過剰ではなく
助けを求めるか細い声というか、弱さです。

家庭教師は冗談を言っては大人な対応というか、かわしていくのですが、
主人公の男の子のイジメを知って
その不安定さ、繊細さ、消えていきそうな孤独と向き合ってあげます。

それは、少年のいいなりになるのではないけども、
抱きしめてあげる、受けとめてあげるという選択です

セクシュアルではないけれども、慈愛に満ちたエネルギーを与えることで
少年は変化します。
翌日いじめられっ子のグループに
トイレで水をかけられていて
突然彼は猛然と反抗するんですね。
イジメという危機的な状況から
出て行こうとするエネルギーが充填されたんですね。

先生の愛情って
いつもとても抽象的に語られますが

その抽象的な熱血とか、愛情とか
そういったエネルギーの存在は
欠乏とは何かをもっと考えることで知られてくるものです。

実践したいこととしては
人間の心の欠乏に敏感になる
そういったエクササイズです。

この人は同性のエネルギーが足りないのかな
異性のエネルギーが足りないのかな
社会的ステータスのエネルギーが足りないのかな

欠乏に対して敏感でありたいなと思います。

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます

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