copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

コミュニケーションを諦めたくなっても

 

コミュニケーションを諦めたくなっても

ゲームから降りなければ次がつながる

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人と人が出会って30秒で、お互いに考えていることといえば、

ジャッジです。

低次元の興味で、お互いにジャッジするのが嫌でたまりませんでした。

 

パワーゲーム

この人は美人かどうかジロジロみてます

自分より強いか弱いか

言う通りになりそうか、ステータスが高いか、お金を持っていそうか

そんなことばかり考えているのがわかってしまいます。

目つきでわかります

 

そんな嫌な感情から逃れるために

必要のないことは話す必要がない
というサイクルに入ると、
日常会話も必要最低限になります。
待庵での茶会のような毎日を過ごす時期も
もちろん大切な学求のあり方ですが、
ここから出られなくなる人も多いです。

現に私がそうでした。
そして、今仙人さんに学ぶことは
私にとって社会復帰のリハビリ期間なのかもしれません。

今回の第5話で心に響いたのは、やはりゴシップとの付き合い方です。
人間関係構築にコミュニケーションというアプローチを当てはめて考えた場合、実に7割から8割はゴシップで構成されなければならないわけです。

なるほど、猿ならばここでグルーミングをしているのです。

でもそれだけではゴシップについていい感情を持てません。
心貧しい人はゴシップを話し、凡人は起きたことを話すが、賢人はアイディアを語る。これはベン・キングスレーなんかも言ってますが、

余計なおしゃべりって罪悪感ありませんか?

あらゆる問題は諸々の本質を規定することに帰着する
とは現象学の説明ですが、

たとえばドイツ哲学に限らずヨーロッパ的思考は余剰を嫌うんですよね
本質直感とか知覚の本質とかの用語に慣れると
もっとシンプルに、もっと要点を
もっと大事なことはなんなのか探しが習慣になります。

そんな習慣が一時期から身についてしまった私が陥ってしまったのが、コミュニケーションスランプでした。

コミュニケーションのために実践してみようとは思わないところですが、
仙人さんの興味深い着眼点は以下の通りです。
「ゴシップとは同意を引き出す道具にすぎないので、
相手の同意をどう取り付けるかという契約として用いる」
つまり、ゴシップに振り回されるのではなくて
対話機能においてゴシップを換骨奪胎して
コミュニケーションのマウンテンポジションを取る
という考えを提示したところです。

この立場に立てば、いかにウンザリするほど程度の低い話がスタートでも、
相手に学習のコミットメントをさせるところまで
ゴシップを用いて誘導することができます。

まさに、噂話も使いよう
です

実践するには、精神的なブロックを外すことが大前提ですが
ゴシップを教養に変えていくという錬金術には
大いに興味をそそられます。
方法はこうです
ゴシップは相手の世界観と関心領域から出てきます。
人の失敗談だったり、アイドルの不倫話
人を羨む話だったり、成功者をこき下ろす話です

そういったゴシップに対してではなく、世界観に対して同意しない旨を伝えます。
そして、そのゴシップのテーマに即して新たな世界観、価値観を上塗りしていくのです。
そして、その上塗りされた世界観と価値観に合意がなされたら、
その会話は次の目的へとステップに舵を切ることができます。

逆に、ゴシップ話にウンザリして、面倒臭いから同意したり、
無視したり、話を合わせるだけのコミュニケーションをしていると
いつしかその場と話題の質が相手のゴシップによって決定する
フィールドチェンジが起こるままにさせてしまうことになります。
これはゴシップに前提された世界観、価値観に屈しているのです。

これは恐ろしいですね。
その人との対話は、関係性は最悪の形で終わるのです。

ですから、相手を選ぶとか、関係を切るとかができなければ
あるいは引きこもることができなければ
自分もその影響を受けます。
いつしか自分の信念も揺らぎます。

コミュニケーションは、対話によって構築する責任の磁場のことであり、
ゲームから降りた途端に負けが決定しまうのです。

磁場を歪ませない配慮によって、自らの信念を守る

日本人の会話にこの要素を取り入れるだけで、
いろいろな国際間の摩擦も解消されることでしょう。

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただき有難うございます