copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

教育とコミュニケーションの関わり

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第2話を聞いて
実践したいと思ったこと

今回のテーマは私にとってとても苦手とするところでした。
コミュニケーションを意識したことがなかったです。
なぜ相手に理解されないのだろうという疑問と悲しみ、寂しさだけが体全身に出たり入ったりして
結局は自分勝手な理屈をつけて、相手の理解力のせいにしていました。
自分がこれまで意識していなかった態度、アイコンタクト、
ボディーランゲージ、声のトーン、話す速さ、服装、シチュエーションや、段取りなど、一々に意識して改善していったら、
これまで味わってきた悲しみや寂しさからは少し楽になれるでしょうか。
そんな想像をしてみると、自分がこれまで無意識にやっていたことや、相手への発言が不適切だったことばかりが思い起こされてきて、
穴に入りたい気分になります。

音声はこちらから↓


楽しい雰囲気を演出したくても、顔が笑っていないとか
やさしそうな印象を与えていない、感じさせていない人とか
よくいらっしゃいます。
こういった顔の表情一つとっても、
相手に悲しい思いをさせたり、戸惑わせたりしてしまったのかなと
居心地の悪い雰囲気を作ってしまったことを気にしてみるだけで
コミュニケーションは自分が常に責任を負っているということに気付けますね。
僕はどうだっただろうと、あの時あの場所であの人に、
一人一人聞いて回りたい気分です。
多分、当時の私は、そういうコミュニケーションを自分からしておいて、相手に決定的な印象を与えておいていなたら、
自分から去っていった相手を責めていたのでしょうね。
こちらの真心を理解しないやつだと思ったり、
教養がないと思ったり、情のない人だと思ったり。
そんなことを思い起こせば思い起こすほど、無知とはどんなに恐ろしいものかが知られてきます。


それから、会話です。
相手の関心と違う所にボールを投げても、キャッチボールにはならないんですね。
ボールを拾うことが教養だと思っていましたが、
相手に受け取りやすいところにボールを投げるのが教養というべきかもしれませんね。
自分がついつい話してしまう言葉
使ってしまう単語
自分の立ち位置
敵対したくないとか、隠れていたいとか
そういったものが出てくる
表出してくる
それをちゃんと考えて
意味を考えて言わないと
それはプロのコミュニケーターとは言えないというか
教育者ではないんですよね

だから全て自分の言葉とか話している言葉を意識すると
コミュニケーションというのは本当にシンプルに見えるんですよ

そんなことを教えてくれる人は
これまでの人生でいませんでした。

ですから、コミュニケーションの能力が高くなるだけで
人生で人との関わりが楽しくなり、
出会った人に感謝されるような関係が築けたら
素敵なことだなと思います。

あまりに傷ついてきた経験ばかりが多いと
卑屈になりやすいし、見得も張らないとなりません。

外見とか、ファッションにばかりこだわるのも
コミュニケーションの方法の豊かさを知らないことから
生まれてくる心理と言えます。

ミスコミュニケーションをしている自分と出会ってみることのほうが
実は実践しやすいことかもしれませんね

https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#FslA4T

言葉やシンボル機能に共通の世界観が担保されていない時代背景も
今日のコミュニケーション事情に影響しています。

言語体験に共通の経験と記憶があるかないか
そのことをちょっと配慮するだけでも
言葉の壁の厚さはしられてきます。

人生をより深く味わうために、
自分のできるコミュニケーションを一から意識的に知りたいなと思いました。

この1年、コミュニケーションをしっかり学びましょうという
カリキュラムでは、様々なアプローチが用意されています。

動物とコミュニケーションをとるには?
という投げかけが私にとっては一番意外でした。
動物とコミュニケーションをとれたら、
人間相手でも大丈夫ですよ
と言われて、正直すぐには飲み込めません。

時間のある時に、ちょっとペットショップに行ってみて
何かまた新たな気づきがあれば
シェアしますね

今日もお読みいただきありがとうございます。