copywriter-住職’s blog

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仙人さんに質問です

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質問



仙人さんに質問です
世界観をまず教えるということは
ストーリーやイメージ化できる世界ということに限られませんか?
例えばよく仙人さんの音声からは
擬人化したイメージが登場します
あなたが塩素入りの水を飲んだら、ラクトバチルスさんが、死なないでーおじーちゃーんっと叫んでますとか

胆嚢さんは可愛い子犬みたいに、くぅーんていって、はにかんで俯いてるんですよとか
それをちょんぎったら可哀想ですねとか
ですね
善悪や好悪、それから敵味方、アニメ仕立てのストーリー
漫画の登場人物ですね
そういったイメージから、一見退屈な概念をショートカットして
感情とともに受け入れやすいのもにされています。
しかし、それでは単純な敵味方などの構造で説明つかないもの
その世界観では限界があるものがあるのも事実です。

何より本来のあり方をそのまま示すことができなくなるところに
問題点があるように思います。
もちろん、そこから興味を得て、
本当の姿を学ぶ、明らかにしていくのは本人であるとしても
教育者の責任とは、そういったモデルを示して嘘を承知で飲み込んでいかねばならないものでしょうか。

 

音声はこちらからどうぞ

世界と聞いてワクワクするか
世界と聞いて恐ろしいと感じるか
それぞれの学習タイプに沿って
ワクワクする方が学べる相手ならばワクワクさせる
恐ろしいと思って身が引き締まる方が学べる相手ならば、
恐ろしがらせる
そういった操作に、少々抵抗を感じます。
相手に対して次の教材で、また別の情報を上書きしていくことで
意図的に刷り込んだ世界観は修正できるのかもしれませんが、

言葉以上に世界観には限界があると考えます。

言葉は論理学によって限界を広げてきた歴史があります
そして、ヨーロッパにおける教授の伝統はこちらです

基礎教養のなくなった現代だからこそ、
アニメ仕立ての、
単純な構造のアレゴリーですべてを並列して理解させる限界があります。
そのことを踏まえた上での次のステップを提示する
自らがあえてピエロになる
そういうことなのかなと考えています。

https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#FslA4T