copywriter-住職’s blog

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化学者にして実業家にして無冠の外交官

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トライアル7日目
今日はビジネスマン列伝についてでした。
エンザイム、タカジアスターゼの発見者として
研究者


化学者として知られている彼ですが、
日露戦争のために日本の外積引き受けに協力してくれた
ユダヤ人銀行家のヤコブ・シフや鉄道王ハリマンなどを日本倶楽部に招待して
日米交流の実をあげた社交家であり
そして近代アメリカにおける特許ビジネスを日本に最初に導入した ビジネスマンです。
化学者という研究者であって実業家であり、そして教育者である人物は、そうそういません。
知的所有権というものを価値として、いち早く気づき、戦略的に自らの発見や研究を生かしたのみならず、
日露戦争の政情不安にあって、自ら独自のパイプをつくりあげた
学者の自尊を打ち立てた人であります。
そしてその知識を生かして日本の特許庁の初代長官代理として就任し
日本の特許行政の基礎を確立し、国際社会での知的所有権の適応条件を
いち早く整備した功績は大変大きなものです。

音声はこちらから

今日でも、ニューヨーク在住の日本人が折に触れて会合に参加する日本倶楽部、これは
現在は日本クラブだそうですが、ジャパンソサイアティー、日本協会もその設立に高峰譲吉
果たした役割が大きく、実質的な創始者といってもいい働きをしています。
ニューヨークにおける日本人と米国人との交流のための社交機関として
1905年に設立された機関で、
ニューヨークにおける邦人中、知命の米人と対等に接触交際する機会を有するものがわずか数名にすぎない状態だったところを
ハーバード・クラブやイェール・クラブなどの活動状況や規約を調べて
横浜正金銀行三井物産、森村組、大倉組などの日系企業の支援を言えて会員約80名でマンハッタン西85丁目44番地の建物を一ヶ月300ドルで借りてスタートさせたそうです。
1905年6月には
日露戦争の戦費調達のためにニューヨーク訪問中の金子堅太郎と、日銀副総裁のポジションにあった
高橋是清が講演をしているそうです。
その日本倶楽部初代会長が高峰でした。

彼のように多方面で活躍する、マルチな才能を伸ばすにはどういう教育が必要だったのでしょうか
大変気になるところです

 

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