copywriter-住職’s blog

copywriterをやっている住職のブログです。

自分を変えたいと思っている人ほど、 自分を肯定して欲しい

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印象に残った言葉や突き刺さる言葉
のシャワーを浴びています。


私は今日という日を心からの愛をもって迎えよう
今から私はすべての人を愛そう
今この瞬間から、憎しみを私のすべての血管から追い出そう
なぜなら私には憎んでいる時間などないからだ
愛するためだけに時間をつかいたい。


オグ・マンディーノさんの
「地上最強の商人」を読み直しています。

自己啓発について関心を持った方なら
誰もがその名前を聞いたことがある
世界で最も多くの読者を持つ自己啓発作家です。

若い頃、アルコール中毒で離婚したりしたそうです。

苦労してるんですね

アルコール中毒になる人は、根がとても優しい人です。


そして、今僕たちが耳にする有名な講演家や
コーチ、自己啓発家で彼に影響を受けていない人はいないといっても
いいくらい支持されている人です。

なぜなんでしょうか。


彼の作品には、一貫したテーマがあります。
人間は苦しめられて打ち負かされるとき、
なにかを学ぶチャンスをえる。


自分を変えたいと思っている人は
自分の内側に弱さを感じていることが多いです。
寂しいとか、苦しいとか、満たされないとか
とにかく現実に打ち負かされているんです。
不条理を感じていて、怒りを感じています。


そういった、満たされない、願望のとおりにいかない現実に対して
変えなければならない、帰路に立たされている
ことにフラストレーションを抱えています。
変えなくてはいけないことは、誰よりも自分が理解していて、
必要性を誰よりも感じている。

だからこそ、あえて人から言われると辛いです。
現実をもう一度見ることが怖いです。

さっき見たんだから、もういいでしょう
もう一度現実をみるのは勘弁して
といった心境です。

このテレビ番組見終わってから勉強しようと思っている時に、
お母さんから、勉強しなさい!って言われるのと
似てます笑


自分を変えたいと思っている時には、
まだまだ自分にはできることがあると思うし
自分はこんなもんじゃないって思っています。
心の奥底では、矛盾した感情があります。


自分を変えたいと思っている人ほど、
自分を肯定して欲しいんです。


そんな時に、受け入れたくなるカタチ
詩文のように、音楽のように
心の中に入り込んでくれるエピソードを
優しく語ってくれるのが、オグ・マンディーノさんの小説です。

孤独とか自分の無力を感じている時
何よりも勇気付けられるのは
「見守ってくれている誰かの優しさ」
を感じることです。

あなたは変わっても変わらなくてもいいんだよ

と言ってくれる年長者の、あるいは愛する人
微笑みです。

自分よりも立場の弱い人をみると
目が離せなくなります。

そして、そういう人たちの話は熱心に聞きます。
逆に、成功者の話はプライドが邪魔して受け入れられません。

僕たちは生来のあまのじゃくなんですね。
もういいよ、と言われると、やってやろうじゃないか
と思うようになります。

決してドヤ顔で迫って来ないで、
本人はまだ自覚してないのに、まだ変わってもいないのに、
「君は変わってきたね 〜」
とか言ってもらえると
嬉しくなって俄然はりきります。


もし、あなたの隣で
悩んでいる人がいたら、
あまのじゃくだと思ってください。

なんか最近いい感じじゃない?

そして、次にあなたが悩んだ時には
そう言ってもらう関係ができたら素敵ですね

僕もこの100日ブログを書き続けることで

何かが変わってきた気がしています。

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます。

 

本当の友達を増やす方法

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今日はいいなと思った道具を紹介する日です。
 
使いこなすことで生活のレベルが上がる道具、
 
持っているだけで幸せになる道具
 
手に入れることでステータスが上がる道具
 
こういう道具との接し方は、どこかで「もっともっと」
になってしまうことがあります。
 
 
身を飾るためだけの道具
 
嘘ってわけではないけど、背伸びをするための道具
 
その時だけ気分になれる道具
 
というものは、よく売れます。
 
ブランドものです。 
 
 
 
一方で正直になるための道具
 
飾らないで、自然体でいられる道具
 
考える自分を手に入れるための道具
 
こういった観点から道具に向き合う自分を手に入れる道具
 
 
自分の不足を補う道具ではなくて、
 
満ち足りた心で今を楽しむ道具ってないでしょうか。
 
 
 
それは、欲しい物であるよりは
 
冷静に考えてお付き合いしたいとおもう友達
 
と呼んだ方が、ぴったりする感じがします。
 
 
 
豊かな心で生活する居られるために、一緒にいられる友達
 
自然体でいられるには、心の安定を助けてくれる友達
 
そんな都合のいい、素敵な友人は
簡単に出会えないかなあ、
そんなパートナーって
結婚相手探すくらい難しいかもしれません。
 
 
最近ある友人から教えてもらいました。
 
 
 
「お花を手元に置いてみてください」
 
 
花は美しく飾るための道具になることもあれば、
お洋服の柄になることもあります。
 
そして、華やかな気分になる壁紙だったり
写真を飾ることがあります。
 
 
でも、お花屋さんで買って来たお花、
 
生花を飾ることは
 
物足りなさを補うためのデザインや
寂しい色合いをがらっと変えてくれる感覚的効果以上に
 
パートナーとなってくれることをご存知でしたか?
 
 
花は右脳を刺激します。
鮮やかな色彩と、自然な香り
どちらにも人工物にはないものを与えてくれます。
 
そんな命の感覚が、
人工物に囲まれたそれこそ風景を殺している殺風景な日常を
一変させます。
 
気持ちや考え方に変化を与えてくれます。
花を飾ったその場には
何かのエネルギーが動いているかのような
時間と空間のスイッチが入ります。
 
そして、ここがポイントなのですが、
 
誰かのために花を飾るだけではなく
 
「自分のために花を飾ってください」
 
 
飾るっていうか
 
傲慢な気持ちで花の美しさや造形を付き従わせる
 
飾り立てるための道具ではなくて、
友人として迎え入れてください。
 
 
花は素敵な友達を、もっともっと連れてきてくれますよ
 
小野篁という詩人はこんな歌を残しています
 
 
    花の色は雪に混じりて見えずとも
 
     かをだににほへひとのしるべく
 
花の姿は雪に紛れて見えなくとも
香りを漂わせてあるものです 人から愛されるように
 
 
美しいだけが花ではなくて
栄華栄達だけを羨み、御身を馳せるのではなく
花と共にある世界にむかえられる
 
花は僕たちの先生でもあるのです
 
花と寄り添い、花に迎えられ、花を友とするとき
本当にあなたが、あなたにふさわしいマインドに気づくのでは
ないでしょうか
 
そしてそのときにあなたの隣にはいます
不思議なことに
本当の友達がいます
 

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます

人生最大の危機

人生最大の危機って体験してますか?

人生最大の危機って、いつくるんでしょうか。
病気になった時でしょうか。
経済的に困窮した時でしょうか?

エリクソンという人は、第二の誕生の時が
人生最大の危機だと言います。


今日ご紹介するのは、
第二の誕生の様子を、歴史上の人物をモデルに問い続けた「青年ルター」という本です。


20歳ぐらいからでしょうか。
強い自信や、人生計画をもって突き進んでいても


「本当に、自分はこれでいいんだろうか?」
と悩みが募ってきます。

 

無力感

罪悪感

劣等感

 

両親や先生、周りの期待や、自分の興味
目標設定や競争に時間を使っている一方で、
一息ついた途端にやってきます。

アイデンティティーという言葉、自己同一とよく言われますが、
一体なんのことをアイデンティティーと呼ぶのかなって疑問に思っている人は
たくさんいると思います。


アイデンティティーとは何か、を調べるよりも、
アイデンティティーに悩んだ人たちの人生を取り上げて、
何に悩んでいたのか、人生でどんな出来事が起こったのか、
そして、どんな結論をだして自分を納得させて、
それが社会を変えてしまったのかを辿ってみよう

 

個人がその深い内面的葛藤を克服するための闘いが、
その時代に共通する矛盾や葛藤を乗り越えるエネルギーにあることがある
これがエリクソンの着眼点です。

 

社会を変えてしまうような人は、社会を変えているのではなくて
自分の満足できない想いをなんとかしようとしている人なんだよって言っています。

その結果、社会を変えるような結果になって
案外、歴史的人物は、本人が驚いているのかも知れません。


赤ちゃんとして、この世に生まれた時は
その時代の考え方ややりかたに
かなり積極的に、疑いとか違和感なく
順応したり、組み込まれたりしますが、

第二の誕生を迎えた人は生きかたに悩み、

全面的な方向転換をするまで行くことで、

やっとのことで活路を見出す場合が多いみたいです。

 

 

この第二の誕生を迎えて、
僕たちは成長と停滞の2つの道のどちらかを選択します。

人生の重大な節目を迎えて、個人が重圧に耐えきれずに
成長より停滞の道を選んでしまうと、
社会全体の損失になる

とはっきりいいました。


もしあなたが、自分が何者であるかという問いを諦めてしまうと、
社会全体が活性化しなくなるといわれると、

そんな個人的なことが、、ってびっくりしますよね。

 

今の社会に適応できにくい人こそが、

社会を変革する新しいアイデンティティーを提示できる人

なのです

 

もし、あなたが今、生きづらさを感じている方なら、

是非この「青年ルター」を読んでみてください。

あなたの自己克服は、社会を変革する力となります。

そして、多くの人が待ち望んでいます。

 


介護士さんや、看護師さんや、ソーシャルワーカーさん


セラピストさんや、教育者さんや、弁護士さん、政治家さん

 

人の悩みに関わる全ての職業が、何のために必要なのか


実際にしているのは、何かというと、


心の停滞から成長にスイッチをいれることかもしれません。

 

お互いのアイデンティティーの悩みに寄り添うことが、
社会を働かせるエネルギーを本当に生み出すとても大切な仕事です。

 

世の中に優れた才能を発揮するために
僕たちがどうやって自分の壁を乗り越えるのかな

アイデンティティーの悩みとしてそれを描き出した作品が
青年ルターです。

エリクソンは「あらゆる子供の中に新しく生まれた
無力感と希望とに直面してはじめて、
成人した人間は生きていること、生きゆくことの実に
重々しい責任を再確認する」といいました。

 

あなたは今、成長と停滞とどちらを選んでいますか?

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます

 

最初から正しく教える

最初から正しく教える

今日は教育マインドセットの授業を聞いて
仙人さんが出してくれた宿題を実際にやってみる日です。

一つ目の宿題は自分が一番フォーカスしたいマインドセットを書き出す。
というものです。

僕は「最初から正しく教える」
というマインドセットを掘り下げて
考えてみたいと思います。


一番最初に教えることがすごく重要です。
これは、最初に出会った時から
すでに印象や、イメージや、使った言葉は
影響を与え始めているという教えです。

最初に持っていた価値観と
後から伝えることの価値観がズレていたら
混乱させてしまいます。
最初に与えた人格的印象も
後から伝えるべきメッセージとかけ離れていたら
混乱させてしまいます。
最初に間違ったコンセプトを提示すると
それに従って、間違いの学習のレールがスタートしてしまいます。
大きな時間的、精神的ロスを負わせることになります。

ですから、結構してはならないことがあります。
話してはいけない話題があります。
それらの言葉は
勝手にイメージを膨らませて恐怖になったり
最初に教えられたということで、優先順位を高く感じてしまうのです。
つねに、発した言葉を土台にして、
次の人間的印象が形作られるので、

伝えた本人の意図とは違ったイメージが
出来上がってしまいます。

例えば僕が、何かを伝えるために発した言葉で
最初が芸能関係の噂話だったりします。
そうすると、僕の価値観や日々抱いている意識が
芸能関係の噂話を中心のポイントとして意識させてしまい、
その後でいかに教育やビジネスのマインドについて話しても、
「芸能人の噂話から、このビジネスのマインドとどう繋がるんだろう」
という想像をさせてしまい、
最初の印象との関連性や整合性を探させてしまいます。

そのためには、不必要なことは言わないでいることです。
相手の緊張を解くためのアイスブレイクとか、世間話とか
気晴らしにするどうでもいいネタ話を否定する気はありませんが、
そういった話の全てが、
残っているし、上書きされるし、肯定されていくということを
忘れないでいたいと思います。

恥ずかしさを感じてつい言ってしまった言葉や
理解が不満足だから要点をぼかしたり、
答えきれなくて苦し紛れに発した言葉だったり
だらしなく感じてしまいます。

それらは時間的に最初に出てきていれば、影響力も強いです。
人との出会いでは最初がとても肝心です。

最初に正しいことを教えておけば、
後でどんなに脱線しても戻ってこられる。

それは仙人さんが、つねにテクニックを後にして
マインドセットを最初に教えられているということとも
深い関係があります。

最初に小手先のテクニックを学んでしまうと
本当に大切な局面では
応用が利かないからです。
そして小手先の利益でものを考える癖をつけてしまいます。

生徒さんの人生が決まってしまうくらいの影響力を持っている
そんなカリキュラム作りの厳しさを難しさを
戒めたいと思います。


そして、最初の出会いをつねに思い起こせる状態にしておくこととは別に

どんな話題も、つねに振り出しに戻る用意をしておく
ことが大事です。

初めて聞いた人がその場に一人でもいれば、
最初に戻って、その人が理解できる話を用意します。

この人にはここまで話した
この人にはここまで話した
そういった予習復習にもなることですが、
自分の話や伝えた内容は
段階的にまとめておくことです。

伝えている側の「わかってもらえているだろう」は
ほぼほぼ通用していません。

全体像やイメージをわかって話している人と
そうでない人では理解に大きな差が出ます。

全体像を意識させて、つねに最初に帰れるような
目印を関係の中で確認していく
意識してもらう

迷子にならないように
目印をつける
最初の地点から目印をたどるのは、何度やってもいいです。

ツアーコンダクターに先に行かれて
心細くなった自分に語りかけるように

さて、宿題2と3については
インデックスカードに書くことと
誰か一人にマインドセットを教える実践になります。

わかりやすく、ツアーコンダクターのように伝えられるか
実践してきますね

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

自分にとって大切な1パーセントを見つける

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今日は教育マインドセットを聞いて
これはやってみよう、続けて実践してみたいと思ったことを
シェアする日です。

10個の教育マインドセットの教えは
一つ一つがとても深く、
人生の一瞬一瞬が、
常に教える立場と教わる立場と、僕たちの心の成長とに関わっているんだよ
ということについて考えていかなければならない
改めて感じました。
何気ない一言にも、相手へのダメ出しがあったり、
ジャッジがあったり、
これは無自覚でいくらでも作り上げている擬似教育のマインドが
させていることです。
そして、人生の全てが教育だと日頃から心がけていなければ、
自分が成長するチャンスを失ってしまうことです。

僕の好きな言葉に
我以外皆師
という言葉があります。

座右の銘にしている人も多いのですが、
この言葉を実践するのはとても難しいです。

例えば男性と女性がいたとして
お互いに自分の師と思いあえるかとしたら

大体は敵だと思ってますよね。
感受性も違えば、価値観も違う
お互いに過剰な期待と
都合のいい決めつけで向かい合っています。

10個目のマインドセット
「教育のあらゆる基本はマンツーマン」
そして「良い先生は最大のレバレッジ」というマインドセット
僕は具体的な実践にしていきたいと思います。

マンツーマンの教育のメリットの一つには
フィードバックをもらえる
ことです。

教わる立場だったら、
自分の速度や関心、学習タイプに合わせて
伝えてもらえることと

フィードバック
つまりリアルタイムで、
違うことを指摘してもらえます
一対一なので、他の人に気兼ねしたり、
恥ずかしい思いをせずに、
違うよって言ってもらえます。
不心得があったら、叱ってもらえます。
気分を害したり、つまらない思いをさせたら
素直に聞くことができます。
そのことがマンツーマンの教育と思って
素直に受け取ること

我以外皆師という言葉の実践の奥深さを感じます。

マンツーマンで見ることは
相手を役割でみない
魂で見る

ことに尽きるのだと感じます。

適切に目の前の人が、自分でも気づいていない悩みを

いつもここで失敗するんだよねとか

こんな人とは上手くいかないんだよね
とか
数学が苦手なんだよね

その人が数学を苦手としている本当の理由が何なのか
一緒に考えることです。

僕は英語に対して苦手意識を持っていた時期があります。
語学全般がそうなのかなと思っていましたが、

ある先生に出会って、「すごいね、君は英語ができるね」
って言われた時に、びっくりしました。

苦手意識をもっているのに、なんでできるねって言われるのかな
と不思議だったんですが
その先生は、語学に並々ならない関心を感じるし
語源とか、言葉の選び方にとても注意しているね
って評価してくれました。

じゃあ、語学は好きなのに何が語学への苦手意識をつくっていたかというと
対人関係への苦手意識でした。

語学は自分の思っていることを表現したり、
相手を待たせてはならないなどの気遣いや
発言で感情が変化する行為を含みます。
ここに苦手意識があると、語学そのものの内容全般を
否定的に見てしまう
できないこと一つのために、
全部ができないと思い込んでしまっていたんですね。

語学の他の才能を伸ばしてあげることで
ボキャブラリーへの関心だったり
その言語圏の文化に親しむことだったり

こういった事は、会話に苦手意識があることとは
別に伸ばしていけることです。

対人関係への恐怖や
批判の恐れの感情は
別のアプローチで改善していけばいいんです。

そう思った時、語学を学ぶことへの恐怖は無くなりました。

口下手とか
話すのが苦手とか
話題がないとか

多分、思い込みだったりします。

そんな思い込みの苦しさに気づかせてくれるのは
教材やセミナーや本ではなくて、
一対一の魂レベルの向き合いだけです。

99パーセントの時間と労力
自分の気付かない恐怖につかっていて
自分に本当に必要な1パーセントのことを
掘り下げることに使えていないとしたら、
どうですか?

賢くないとか、理解が遅いとか
苦手な分野があるのではなくて
99パーセントの効果の上がりづらい努力をしているかもしれません。

1パーセントの本当に必要な導きで
僕たちの人生は劇的に変わります。

努力が足りないとかではなくて
1パーセントの大事なこと以外のことを延々と繰り返しているだけかもしれません。

学習はあらゆるタイプやパーソナリティの
学習プロセスの集積です。

そんなプロセスからマンツーマンのフィードバックを引き出してくれる人が
人生を豊かにしてくれる先生であり
僕たちにとって最大のレバレッジなんです。
先生を尊重し、敬うことは、どんな投資よりも
僕たちの人生の意義を高めてくれるレバレッジになります。

そんな先生を見つけたら
何をするべきか

犠牲を払ってください

自分の人生に対して最大のレバレッジを効かせてくれる人にであったら

あらゆる犠牲はコミットメントに変わります。
自分のプライドやエゴや、評価されたい気持ちや
そういったものをすべて捨てて

フィードバック回収機になりたいです。
人生の無駄を省いてくれる人はこの人だ!と思ったら
99パーセントの苦しみに喘いでいた自分の情けなさや
のたうちまわっていた痛みを思い出します。

そして、先生にはキャリアがあります。
50歳の人は50年のキャリアがあります
そんな先生を3人も持ったら150年分の知恵をもらえるんですね。

教育のあらゆる基本はマンツーマン
これは教わる側のマインドセットとして
とても重要なことだと思って
実践していきたいと思います。

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます。

教育を台無しにする言葉

あらゆる教育を台無しにする言葉

今日は仙人さんに質問をする日です。
教育カリキュラムの大事さということをお話しになっていますが
教わる側の為を考えると、教えるアプローチの仕方だったり順番には必ず法則がある
という事柄は、意外と盲点ではないかと思いました。

教育者の倫理とか、政治的立場とか、得意不得意とか
教育への真剣さよりも優先するべきものがあるというと
何かテクニック主義のように聞こえますが
実際は優先順位を学ぶことで、伝わらないことに焦らなくて済む、
焦らなくていいから、小手先のテクニック主義に陥らなくて済む
ということかもしれません。
僕たちはとにかく何かに焦っています。
要件を伝えたい、わかってほしい
気持ちを通じあわせたい、大切なことを伝えたい
しかし、ここに僕たちが無自覚でいる大変な間違いがあって、
そこに「早く」を入れているのです。
この「早く」こそが、あらゆる教育を台無しにするマインドセットなんじゃないか
という仮定をしてみたいと思います。

僕たちが分からないとか、出来ないとか
教育に対して一番言われているのは
周りと比べて遅いとか、理解が出来ていないとか
そういった比較ですよね。
脱線しているとか、やり方が違うとか。

 

エジソンさんとか、そういう人を持ち出す時は

勉強に脱線なんてないんだよとか

間違いを奨励するくせに、

実際には脱線させてくれませんよね

 

 

誰にでも分かるようになるという信念が
いつのまにか揺らいでいる
フラストレーションに変わるのが、
「早く」理解のラインを踏ませたい
実践させてみて、一禎の結果を出してほしい、理解したラインを踏ませたい
テストしてみて、ちゃんと合格点を取ってほしい
質問して、要約ができるようになっていてほしい

これは無意識だから怖いんですね。
何度でも付き合うよ
どれくらい時間がかかっても、教えるよ
居残りをさせてしまったり、予習復習をさせてみたりします

性格の違いについて悩んだり、学習タイプの違いを精査してみたり
興味ポイントを表面化したり、モチベーションポイントまで辿り着くことが
優先順位というと
意外な感じがします。

ここに大きな間違いがあるんですね

教育と教育カリキュラムとは、まったく異なる分野に属するということが
認識されていないんですね。

教育の価値だったり、尊厳だったり、教育の意図だったり、
人を教えて導くという概念と

実際に人が何かを学んでいったり、信頼したり、自信をつけていくこととは
まったく別の分野に属します。

これを同じと考えているから
教育する側の都合が教育になってしまっているんですね。

 

僕たちはいつでも100点満点なんです

つたない言葉で、相手を笑わそうとしたり
嬉しい気持ちを伝えようとしたら
それは100点満点なんです。

今ある感覚で、
絵の具や墨をつかって、表現したいものを表現したら
それが100点満点なんです。


今の興味で数字や図形の面白さや
虫とか自然に触れた感動は
虫の名前を覚えたり、形を再現できなくても100点満点なんです。

 

しかし、教育する側には
それを正しく伝わっているかどうか
今の段階で把握しておかねばならない
と真面目に考える責任を感じてしまって


今の段階での理解力を数値化します。
善かれと思って、それは教科書とは違うよとか
早く分かるようになろうね
といって、勉強を手伝ったり居残りをさせます。

 

今のタイミングで感じ取っている内容、興味を持っている度合いに
100点満点を認めるよりは


どうやったら本人が100点満点だと思っていることを100点満点じゃないか
どれだけ分かっていないかを分からせようとしています。
100点満点ではないことを伝えるかを考えています。

それが「早く」という気持ちの焦りから来るのではないでしょうか。
結局満足されているのは教育されるものが何かよりも
教育者も自覚していないもの
「早く」だけが最優先されています。
何も伝わっていないし、認識と意欲と理解を否定されて、やる気を奪って終わりです。

 

教科書を否定するつもりは全くありません

違う問題なのです

僕たちの、学ぶ側の教育への姿勢は常に100パーセントなのです。

そのことが教科書の内容と100パーセント符合するかは

全く別の問題です。

 

一人一人の感受性と、着眼点があります。
それが100点満点であることが
出発点であるとしなければ
僕たちは何もできないんです。

そして、100点満点だから、
次のステップにいけるんですね。

僕たちが何かを諦めて、チャレンジできなくなって
夢を見いだせなくなって、元気を失っているときは
自分で自分を100点満点と評価できていない時です。

義務教育が終わるということは
これからは教育とは自分自身に対してする
って宣言したんです。

だから、自分に対して100点満点をつける
それが世間一般の100点満点とどう違うか
それからでも遅くないんです。

それが本当の順番じゃないでしょうか

今日もお読みいただきありがとうございます

リアリティとは異質な存在と出会うこと

ビジネスの人を紹介する日です。

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William Swintonさんです
スタンフォード大学で国際関係学を修めた人です。

ファカルティ・デベロップメントについて熱く語る大学教授であり
International Business Studiesを教えています。
専門は社会心理学、社会関係学、国際間ネゴシエーションなどの交渉技術です。

ファカルティ・デベロップメントとは、大学教員の教育能力を高めるための実践方法のことです。
答えのない答えに挑む訓練としての内面の教育と
実際の社会矛盾や困難に直面して思考できる外面の教育とは
今日の学生にとって、果たして有機的に繋がりを持たせることができているだろうか
という問いを発しています。
彼は、常にアカデミックであろうという短いスピーチを
東京のテッドジャパンで行いました。
高級ホテルチェーンからIT、そして金融企業まで、幅広い業種のあまり知られていない部分
自分が属している国際企業との関わりに自覚的になることで
ビジネス・プロフェッショナルとしての訓練をロールプレイングしていく教育現場はどうやって作れるかについて、
彼は大学教育の中にいることを問い直します。
「教育者は自分が快適に感じる範囲から外に出ることが大切です。そして、できるかどうかわからないことに挑戦し続けるというのがポイントです」と彼は語ります。
そんなファカルティ・デベロップメントこそ
大学教育の内部で学生に授業の外の問題がこの場で解かれていることを感じさせる
重要なキーになると強調します。
その場がすでに、異なる背景を持つ人々との共同生活であり、
グローバルなものの見方とは、生徒にとって異質であり続けることからそのエッセンスが伝わるといいます。
教授自身が生徒に対しての絶対的な他者となり、競争をロールプレイングしていく教育環境があるとしたら、
これほどリアリティのある環境はないと言ってもいいくらい
学生を興奮させるでしょうね。
アメリカで有名な人気番組、シャークタンクスタイルを授業でやってみるとか
スマートフォンを課題としてビジネスを立ち上げる思考的訓練など
実用と学知とを繋げる試みは、
大学という場というよりも、
授業カリキュラムというよりも、
もっと僕たちが想像するよりも「異質でヴィヴィッドな教育者」の存在なのかもしれません。

仙人さん最後のビジネスモデル

今日もお読みいただきありがとうございます。