copywriter-住職’s blog

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日本最低の山は?そもそもなぜ僕たちは日本一の○○○が気になるのか

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日本最低の山は?
僕たちが分類されたものに興味を持つのは何故か
 
「日本最低の山」は、大阪湾にある天保山という山だそうです
標高4.5メートル
 
そんなの山なのか?と思うかもしれませんが
国土地理院というところでは地図測定上の重要度に応じて
1等から4等のランクに分けて
三角点を測定してきました
 
二等三角点が測定できて、
さらに地図測定上の重要度がある
その中で最低の標高を持っている
それが天保山だそうです
 
最も高い山とか聞くと、
とにかくわかりやすいのに
 
低い山となると
そこら辺にあるちょっと高い土の盛り上がりと何が違うのか
素人にはよくわかりません
 
行政が決めたからそうなの
としか言えないところに
認知特性としての分類の難しさがあると語り始めるのは
生物体系学、生物統計学から分析哲学までを渉猟する騎手
三中信宏さんです
 
分類って面白いですよね
 
日頃山に関心がない人でも
一番低いとか一番高いとか言われると、確かに興味を持ちます
興味を引きつけるコピーライティングの鉄則の一つです
 
 
そもそも科学とは科に分けて考える
という漢語ですから
科学は面白いのです
 
 
それから、女性は特に好きなのが
占い
 
これも、分類です
今月の自分がどこにいるのか
運気が良いから、お出かけしましょ
とか
今月はお財布の紐は固くしておきましょう
とか言われると
信じる信じないは別として、
あ、そうすれば良いのかと
一応は心に残ります
 
僕たちは分類されたがるし
分類したがります
 
ユングのタイプ論では
認識と判断機能とを
僕たちがどのように優先して使いこなしているかを並べて
心理機能別に全ての人を16パターンに分類します
 
内向的なのか外向的なのか
感覚認知なのか直感認知なのか
感情判断なのか論理判断なのか
知覚態度を持つのか判断態度を持つのか
です
 
分類は誰がしているのか
どんな目的でしているのか
その分類は、正しいのか
 
これを考え始めると
実はどんどん思考の迷宮に入って行くのです
 
例えば日本人の苗字で
鈴木さんって多いですよね
 
実はお魚でも鈴木さんは多いのです
 
ドメインという言葉があります
インターネット上のホームページの
住所とも言われる概念として使われていますが
IPアドレスとは別に設定される
○○○.co.jpとか○○○.comみたいなアレです
 
ホームページを迷子にしないための分類ですよね
 
元々は生物分類学上で使われている言葉でした
全体の中の部分を特定する考え方です
 
界・門・綱・目・科・属・種
に分けます
 
クロマグロスズキ目サバ科マグロ属です
マカジキはスズキ目カジキ亜目マカジキ科
マダイはスズキ目タイ科です
カツオはスズキ目サバ科です
 
高校レベルの生物学ではとにかく覚えさせられますね
丸暗記です
でも、丸暗記するしかないくらい
理屈を理解するには深い事情があるようです
 
クジラは魚類かと思えば哺乳類ですし
カモノハシはくちばしがあって卵で生まれるが、乳で育ち、前足は、水かきがあり、後ろ足は爪がある 
というようにどこにでも入れられそうです
 
先に答えを言えば
 
分類とは目的によって決定される
 
ものです
 
一般的に、僕たちは「成功者」を分類するのが大好きですね
自分がどっちにいるんだろうかとか
答えを聞くまではワクワクします
 
財産や権力を手に入れても、最後は酷い死に方をしたり
家族や友人から裏切られた人や
 
一生が悲劇の連続だったけれども、素晴らしい人材を教え導いたりした人
 
生きている間はお金や人間関係に不自由しなかったけれども
その人のせいで多くの人が苦しみ、国が滅びたと評価される人
 
何の変哲も無い生き方で、取り立てて何の趣味もニュースにもならない毎日を送って
でも、毎日が幸せだという自己満足があった人
 
どれが成功者かと聞くと
答えが人それぞれ違いそうです
 
世界はどういう場所か
人間とはどういう存在か
この考え方が違うと、成功の意味と目的が違うことになります
 
それでも僕たちが自分の立場や居場所を分類して
安心したり喜んだり悲しんだりするのは
 
成功とか本質とかに近いか遠いから
 
を確認しているからだと言われます
無意識に、物事を全て見透かしている大きな視点からみると
本質なるものがあるに違いない
 
ということを
誰もが信じているからです
 
このことを心理的本質主義と言います
 
だから、魂ということを本質と見ている人は
この世の成功は束の間のことだから、お金稼ぎが本質的成功ではないと言いますし
 
この世で追求できるバロメーターの一つである
お金の多い少ないを測量すれば
生き様や方法の正しさを測定することは意味があると考える人もいます
 
誰もが例外なくその意味に背後に
本質というものを認めて信じているのです
 
選別する。区別する。判別する。識別する。鑑別する。比較する
とか
人それぞれになってしまう理由です
 
では人類で圧倒的に支持されてきた基準はどうなのかというと
 
全ての生物は完成というものを目的としている
 
という理念で分類をしたアリストテレスさんの分類が
多くの分野で使用されてきました
 
ダーウィンさんの種の進化という考え方が
世界的に支持されてきたのも
 
あらかじめ用意された世界観に符合したからかもしれません
 
「開かれた社会」とその敵という本の中で
 
僕たちの未来にこんな提案をしています
 
人類の政治と歴史を論じて
 
僕たち一人ひとりが、個人的責任の元に決定した結果に直面し続ける社会を
開かれた社会
一方で集団主義的に価値を認められて、その価値観によって一人一人の個人が分類される社会を
閉ざされた社会
 
と定義して
僕たちが生命体として、社会的個人として、
それぞれの完成に向かう存在として
自由であるためには
 
一人ひとりが実験と観察者であることによって
分類と秩序の主人であること
常に誤りを見つけ続ける態度が
本当に科学者であることだよと言いました
 
価値のないところに価値を創造する生き方をするには
僕たちは分類について何を喜んでいるのかを
 
知る必要がありそうです
 
 
今日もお読みいただきありがとうございます

 

仕返しは善

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善悪のエクササイズ
 
それは
やられたらやり返す
ことです
 
毎日どんなに小さなことでも
やられたらやり返しましょう
 
どうですか、
やられたらやり返すって考えたら
ワクワクしませんか?
 
ワクワクしているうちは、
やったほうがいいです
 
やり返さないでいると
ムカムカしていることになります
 
心が未熟なのに、成熟したフリしても
心は正直です
モヤモヤしていることには
意味があります
 
モヤモヤのエネルギーは
成長するキッカケになります
 
職場で立場が上の人に
攻撃的な言葉を投げかけられて
辛い気持ちになったり
 
会社の労働環境が悪くて
健康を害したり
 
不当解雇されたり
ハラスメントを受けたり
 
強者が弱者をいじめることは
日常茶飯事です
 
受けてが暴力だと感じる身体的な攻撃だったり
 
大勢の前で叱責されたり長時間の訳の分からない説教
 
人間関係がうまくいかなくなるように図って
意図的に、間違った情報を与えられたり
 
仕事のやり方を教えずに過大な仕事を押し付けられたり
 
業務外の単純作業のみを命じられたり
 
プライベートをあげつらって否定されたり
 
パワハラに対しては賠償請求することは
厚生労働省も進めています
 
まずオススメは弁護士さんに相談することです
 
なんとか法律に接触するアイデアはないかな
と考えます
 
無料の相談所がたくさんあります
大学の司法に詳しい先生にアポをとって
話をまとめておきましょう
 
自治体には色々な相談機関があります
 
もっとオススメなのは
自分で法律を勉強することです
 
例えば残業代の未払いならば
 
労働基準監査書に出向いて相談して見ましょう
 
未払い残業の請求や
精神的な苦痛に対して
身に覚えのある分だけ
仕返ししましょう
 
自分で訴訟を起こす場合は
証拠を自分で集めるということろが
大変大事です
音声や
日時
事実関係に関わったものを
収集しましょう
 
 
証拠を取り終わったら、
内容証明郵便を郵送して
時効を成立させないようにしましょう
 
自分で残業時間をカウントして計算する
計算式を理解しておくのは大変手間です
 
正しく計算するための会計の知識が必要です
 
そして、一人で大きな組織と戦わなければならない場合
後ろ盾になってくれる人やアドバイザーがいないと
 
鳥肌が立って髪が逆立つくらいに恐怖を感じることがあるかもしれません
 
あるいは会社の顧問弁護士などに丸め込まれたり、
罠にはめられる場合があると思います
 
裁判も長引くかもしれません
それでも、仕返しすることで
生き生きできるならば
ぜひ仕返ししましょう
 
本社に報告したり、行政にリークしたり
色々と社会を良くする方法はあります
 
個人的な問題と思って引き下がるのではなくて
 
堂々と戦ってください
 
万が一要求が通らなくても
相手への抑止力にはなります
 
相手からの仕返しが怖くても
こちらももっと大掛かりな仕返しをしてあげましょう
 
争うのは
時間的にロスだからとか
仕返しは、悪だからとか
際限がないから
とか
そういうことを理由にして
引き下がった人は
 
だいたい自信をなくしています
後悔しています
そしてお酒とか
何かの依存症になったり
 
才能を発揮するのが怖くなったり
 
物事をバランスよく考えられなくなったりして
 
健康を崩します
 
人との関わりを避けるようになります
 
仕返ししないという選択をしていいのは
そうならない自信がある時だけです
 
仕返しをしないほうが
豊かな心で
楽しく毎日を送れます
とか
 
あの時のことは
すっかり忘れちゃったよ
とか言える人は
拘らない方がいい人です
 
綺麗事を言っても
ドス黒い気持ちにならないならば
仕返しはしないほうがいいです
 
でも、全員が全員そうではありません
本気でないなら、
倫理を理由にしないでください
 
本気ならば
今証拠がないことや
戦う力が足りなくても
時間をかけましょう
仙人さんは23年間仕返しを考えているそうです
まだ仕返ししていないそうですが
 
世間一般に心優しいと言われる評判のいい人に
23年前に受けた心の傷を話したら
 
それは仕返しすべきだよ!って言われるそうです
 
それぐらいのことをされた相手なんですね
 
仙人さんはいつか仕返しを完璧に終わらせるでしょう
 
本気ならば待てるんです
仕返しの時期も規模も想いのままです
時間をかけて
仕返しするための知識と
味方をつけましょう
 
 
そうやって世の中を一ミリでも良くするために
戦ってきた人は英雄と呼ばれます
 
根に持って、ネチネチして
執念深くて、自己中で
そして本気だからです
 
自分自身の感じた怒りに対しても
本気になれない人は
怒りを感じている自分を否定するしかないです
 
他人から見下げられたことで、
自分で自分を見下げると
生きていけなくなります
 
本当に申し訳ないです
生き生きできる場所と思って
MMORPGゲームとかをやるんですが
そういう場所に避難してきた人は
ちょっとしたPK行為や
イジメにすごく敏感です
 
また放浪して流浪の民になります
また仕返しできる場所を求めます
 
仕返しはゲームです
 
仕返しにどっぷり浸かって
本来ある権利を失っても
本気ならばありです
 
諦めて後悔するくらいなら
何十年にもわたって恨みを維持して
完璧に実行することを計画しましょう
 
それが西洋の歴史です
英雄を作ってきた歴史です
 
西洋の歴史で作られた合理的な法律は
仕返しを考えないと使いこなせません
 
仕返しをされるときの事も想定して
準備をします
 
何十年も同じ気持ちを持ち続けるのは
大変ですが
それも大事な事です
 
感情に囚われずに
正しく怒る事が国際社会の生き方です
 
仕返し=感情に囚われる
 
という図式が間違っています
感情に囚われないで、
冷静に仕返しを考えてください
 
そして、自分の力量が足りなければ
力量を大きくして
勉強しましょう
 
仕返しとは
今の自分には力や知恵が足りないということを
教えてくれる
生命の大切な機能です
 
どんなに時間がかかっても
遂行する忍耐力が問われます
 
なぜ、ゲームのレベル上げは出来るのに
現実社会での仕返しはできないんでしょうか
大丈夫です、同じことなんです
 
仕返しというゲームを楽しみましょう
 
 
 
今日もお読みいただきありがとうございます
 

 

期待外れに生きることが恩返し

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期待外れに生きることが恩返し
 
 
期待をかけられるのは、鬱陶しい
 
人の為を思ってやっていることなのに
 
ある時は迷惑がられたり
 
ある時は喜ばれたりして
 
なんでかなって思いませんか
 
子供の為に我慢しても
誰も感謝していません
 
パートナーも恩返しとか考えていません
なんとかの日に、スーパーとかデパ地下で
お惣菜セットを買ってくれば良いと思ってます
 
 
大抵の人は
自分の中の辻褄が合えば
それで良いのです
でも、それで良いのでしょうか
 
逆に
僕たちが
親にかけてもらった恩は
どうやって返したら良いでしょうか
 
かけてもらった時間で考える人
行為をお金で換算する人
親の望むことをする人
喜ばせることが大事だと考える人
親への恩返しは、自分の子をしっかり育てること
色々あるでしょう
 
恩を返すという前提で考えて行動しているのですから
程度の差はあっても
どれも誠実な態度だと思います
 
でも、本当に恩返しになっているのかどうか
誰がチェックしてくれるんでしょうか
単なる自己満足なんじゃないですか?
と言われたら
どう答えますか
 
恩なんて、感じた通りに返せば良い
恩を感じないやつだっているんだから
返そうと思ってるだけでも、自分はまともな部類に入るし
立派だろう
と思っている人が大半だと思います
 
そんなことを言われるくらいなら
真心をジャッジされるなら、
最初からやらないよ
と怒ってしまう人が多いでしょうね
 
 
かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め
 
スーパーボランティア尾畠春夫さんが
インタビューに答えた言葉が深いです
 
情けはブレます
恩はブレません
 
 
僕たちは恩返しという善意を持っても
ちゃんと人生の計画の中に入れておかないと
実現ができません
 
恩を受けるのは
人生の予想外のことです
 
自分の力量が足りなくなったり
弱い立場にある時
助けが欲しい時
 
人生では予め予定していません
 
予定していないことに対して
応えなければならないのですから
恩とは考えれば考えるほど
厄介です
 
最初から人生で計画していなかったこと
必要としていないことを
無茶振りされたわけです
 
あの恩も義理も返さなければならない
これが人生にくっついてきます
 
後から人生にくっつけた親切の義務と言いますか
 
後から必要が生まれた恩返しは
残念ながら実行されません
 
いつの間にかブレてしまいます
 
元々人生の計画や価値観の中に入れた目的と
一致していなければ
僕たちは恩返しは出来ないのです
 
人生の目的と恩返しが一致する価値観で生きること
これが本当の恩返しであると教えるのが
 
このかけた情は水に流せ
受けた恩は石に刻めという言葉の
本当の意味です
 
 
論理的な判断をする人は倫理的な話をバカにします
論理的な判断をする人はリターンと
パワーバランスを良く見ています
 
自己犠牲的な話なんて嘘くさく、
恩は余裕があったら返してあげても良いか
くらいのものです
義理を感じても、感じなくても良いという理由を後付けします
 
 
一方で倫理的な判断を重んじる人は
論理的な人の言葉を冷たく感じます
 
正義感や義理人情を判断の基準にするので
自分がしたのと同じことを相手にも求める傾向があります
それがないと報われない
アンフェアだと考えます
 
どちらも社会的にも人間関係にも
残念な結果にしかなりません
 
いくら慈愛に満ちた心で
相手にかけた善意であっても
行為としての価値がハッキリしないと
 
結果的に迷惑になる場合が多いです
人の感情を振り回すだけになります
 
振り回して、何がしたいのか
そこに価値が見えていなければ
自己満足だと思われます
 
ですから、恩をかけて恩を返させて
 
自分の成長を止めている場合があります
相手の成長を止めてしまう場合もあります
 
善意はそれだけではブレやすいのです
 
倫理とかマナーを考えると
負担に感じてしまうことがあります
まるで負債を返そうとして恩を返す気持ちに
なることがあります
 
それは世界観が自分の生き方と一致していないからです
この世界が自分の生きる世界だと、どこかで思っていないんです
 
どんなに一般的にはめちゃくちゃでも
どんなに親の期待を裏切っても
恩を返すことができる生き方があります
 
それは自分の使命を知り、それに全ての価値を見出す生き方です
 
自分の辻褄を超えた価値で
辻褄が合うことが恩です
 
使命に対して嘘をつかないことです
 
それは無理をしなくても
とってつけなくても
人の使命を尊重し、自然と人の大切にしてきた価値を守ることになります
慈愛を感じさせる接し方になります
 
親がしてくれたことの
出来事、事実、表面ではなくて
もっと本質で応えること
です
 
何を実現したかったのか
何を伝えたかったのか
その奥深いところを受け止めることです
 
恩返しすることと人生の意義とをつなげる価値観を持って
その人生の目的を遂行すること
 
だから石に刻みつけるのです
 
 
とってつけたようなお返しではなくて
ブレない本物になります
 
 
それが本当の倫理ではないでしょうか
 
 
今日もお読みいただきありがとうございます

 

感情のソムリエ

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感情のソムリエ
 
ソムリエがワインと料理を合わせる時
値段や相性、産地などの組み合わせという
知識で選んでいるものと
 
香り、華やかさ、満足度などの
感覚の記憶と、直感とで応用力を働かせて
合うかもしれないという
答えにたどり着くものだそうです
 
料理の素材そのものに関心を持ったり
調理の過程まで知っていて
そして自分にで味わって見て香りを覚えることで
応用ができるようになります
 
そしてワインそのものの持つ香りの複雑さを
自分だけの流儀で発見して気づくという
長い修行が必要だそうです
そうして
色々な香りに対して敏感であることができます
 
主に3つの資格があって
ワインの種類や産地、特徴などの知識が問われる資格は
ワインエキスパートで
誰でも受験資格があります
 
次に飲食店以外でワインを扱う業界の人が
コンディションや経営などの目線などワイン以外の知識に
プラスした価値を扱う時に必要なのが
ワインアドバイザーという資格です
 
ソムリエは上記2つの知識にさらにレストランでの現場経験がある人
に受験資格があります
 
ワイン倉庫とホールとの間をいったりきたりするのみならず
ワインそのものと食卓の価値を仲介する存在
それがソムリエなのだそうです
 
ソムリエさんは知識だけではなく
直感的に
料理との関係に対するアプローチができて
食卓に合わせた自由なトークや表現ができること
 
今はあれでもなく
他のなにものでもなく
これをお出しする
 
お客さんを最終的に幸せな気持ちにさせるというところに
誇りを持っているそうです
 
 
コピーライターは
資格こそありませんが
クリエイターと
マーケッターの知識を持ち
さらに
広告を走らせます
 
ワイン倉庫と食卓との間のように
クライアントとカスタマーとの間にある
あらゆる業務に通じますが
ワインの種類に相当するものは
何だろうと考えます
キャッチコピーやボレットという
言葉のうまい表現とは別に
 
香りに相当するものを鍛えます
それは感情です
この感情を嗅ぎ分ける才能が
一番重要なのではないでしょうか
 
感情には特定の組み合わせというものは
ありません
そして、単一の感情と思っているものは
実は複数の感情が複雑に絡み合っていることが
ほとんどです
 
嬉しいという感情一つとっても
 
表に現れて認識できるところと
裏に隠れて潜んでいるものとは
全く違います
 
嬉しいと表に出てきても
恐怖や厄介ごとが薄れて行く
過程の一時的な現れである場合があります
 
いますぐに外に飛び出して
何かで表現したいくらい嬉しいという感情は
場合によっては嬉しいよりも
イライラで表現されることがあるかもしれません
 
そして商品がお客さんに届く食卓であれば
その香りは一つの方向性を持たなければなりません
 
香りは他の香りに邪魔されるのを嫌います
同様に
僕たちは全ての感情を満たすことはできません
 
全ての感情を満たせないところから
一番望ましい感情を選ぶことで
人生の優先順位を決めて行く
 
そこに人生の選択が訪れます
 
人の心を傷つけるのが怖くて
人生一歩も進めない時があります
 
家族を犠牲にすること
信頼してくれている人の期待に応えられないこと
それまで付き合っていた友人と離れ離れになること
イメージや価値観を裏切ってしまうこともあります
 
仙人さんも過去に
離婚を経験して
お子さんと離れ離れになったそうです
 
二年は赤ちゃんの泣き声を聞くだけで
涙がこぼれたそうです
 
不幸にしてしまったのではないかと
悩んだそうです
でも、
自分が子供の立場だったら
 
上手に行きている親よりも
苦しみながらも挑戦している
尊敬できる親を見ていたいのではないか
 
そう思ったそうです
 
自分に嘘をついて
使命感もなく時間を過ごし
弱いものに責任を押し付けて
精神的に楽をしている親になりたくなかったそうです
 
それよりは過ちを認めて
清算する
ことを選びました
 
全ての感情を満たすことが出来ない以上
どの感情を優先させて人生のステージをを切り替えるか
何が自分にとっての使命なのかという
選択を迫られます
 
感情を分離して
冷静に必要なものだけを残します
 
それに必要なのは
見切る
という技術なのかもしれません
 
コピーライティングは
多くの複雑で入り混じった感情を
味わい尽くした上で
価値を与える技術です
 
感情の波に人一倍敏感になることは
見切りという判断も曇ってしまいがちです
 
感情に溺れてしまいます
 
だからこそプロフェッショナルな誇りが
求められるのではないでしょうか
プロフェッショナルは
その豊かな才能ゆえに迷います
 
プロフェッショナルな誇りによって
多くのものを捨てていかなければ
生きられなくなるのかも知れません
 
クリエイターでもあり
マーケッターでもあり
でもコピーライターであることに
価値を見出すことこそが
コピーライターの道であるように思います
 
 
今日もお読みいただきありがとうございます
 

 

ポール・アーデンという本物の異端者

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ポール・アーデンという本物の異端者
 
クリエイティブになるために
クリエイティブである必要はない
僕たちの想像するクリエイティブは
すでにクリエイティブではないのかも知れません
 
これは、見たことのないモンスターを書いて見てください
という心理実験でも知られていることですね
 
絵を描くのが下手と言われている人は
見えた通りに描こうとしています
 
でも、見えたとおりのものと
実際に描いているものが
全然違うのです
 
絵を描くのが上手な人は
見えた通りのものを
そうそう簡単に描けないと知っている人です
 
常識的な人間は、世界に自分を合わせようとする。
非常識な人間は、世界を自分に合わせようとする。
だから人類の進化はすべて、非常識な人間の力にかかっている
 
ポール・アーデンさんは広告業の巨匠と言われています
NIVEATOYOTABritish Airways,Fuji,Anchorをはじめとする大企業のキャッチコピーから
広告全般を指揮していました
 
企業に代わってコンセプトを開発して
そのアイデアを具現化するまでの全責務を担います
各分野の専門スタッフを指揮する立場の人物のことを
エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターと言いますね
 
完璧主義者であったアーデンさんは
これだと思ったアイデアが出るまで全てにNOと言い続けた人として
グラハム・フィンクさんやアレキサンドラ・テイラーさん
現代一流のアートディレクターの師匠として
恐れられてきた反面
全てのクリエイターを勇気付ける自己啓発書も
手がけています
 
PLAY JOBや
IT’S NOT HOW GOOD YOU WARE,
IT’S HOW GOOD YOU MADE US WANT TO BE
 
などのタイトルです
このタイトルセンスを日本語にしてしまうと
 
なんか大部分が死んでしまいます
 
一発ギャグを説明する人になってしまいます
 

大事なのは今のあなたじゃない。この先、どのくらい上を目指そうと思っているかだ

 
と言われても、ぴんと来ないですね
単なる上昇志向の人みたいです
 
IT’S NOT HOW GOOD YOU WARE,
IT’S HOW GOOD YOU MADE US WANT TO BE
 
これは前半のGOODと後半のGODDが好対照です
前のGOODの方では、優秀な、とかお行儀の良い見事なといった意味合いが強いですが
あとのGOODでは、適任であるかとか、望ましいと言う意味合いが出てきますね
 
 
僕たちは世界に意味を付与する主体ではなく、
「この世界」を存在させている世界の実質そのもの
という置き換えは何かを思い起こさせます
 
シモン・カーベリーさんはこう言います
Not that Paul would ever have described himself or his beliefs in such a wordy way. 
 
彼がいつもしどろもどろだったのは、物事に対して容赦ない言語追求をする彼の天才的な着想の裏返しでした
 
He looked at the same things, yet saw something different
 
グラハム・フィンクさんはポールアーデンさんを追悼して
同じものを見ていても、違うものを見ている人と言いました
 
言葉の間に、ちょっと違いを滑り込ませることで
深みを味わわせる配列と
 
その配列の入れ替えで世界の構造は崩壊する
言語の限界の設定が世界の限界になっていると示したのは
 
 
アーデンさんと広告の関係は
論理形式と写像の関係に似ています
思考された世界が現実の世界とどれだけ異なっていようと、明らかに、その思考された世界は現実の世界と何らかのもの、すなわち形式を共有していなければならない。
事態を或る一つのモデルとして写し取ることはできても
写し取られた或るモデルは事態そのものではないんですね
 
ただそこにあるのは
表現された像と、その像を読み取る僕らとの
何らかの共有なのです
 
元の文章を見て伝わってくる感性を味わって見て
広告業界のアートとキャッチコピーとは
僕たちに対して世界を論述するための形式を読み取らせるものです
その一瞬の表れを
クリエイティブと言っているかのようです
 
そんな注意深さを
見た人に思い出させるテクニックが
アーデンさんの独特の手法のように感じます
 
 
直感的なセンスを感じるコピーは
日本語に訳するよりも
英語のままで光っているように思います
単語のパワーを工夫しているところが
多くのクリエイターに評価されていると思います
 
見慣れたものにハッとする
 
みたいな企画を感じた時、
僕たちは皆クリエイターなのです
 
「理にかなっていることは間違いだ
 
理にかなっているということは、
知識や経験に基づいていて
多くの場合正当性が説明できる
 
知識は過去から得られるものだから、安全だ
時代遅れでもある
オリジナリティーとは正反対だ
 
経験は、過去の状況や問題を解決しながら
築き上げたものだ
現在の状況は過去の状況とは違うから
過去の解決策を使って新しい問題に立ち向かうには
解決策を現場に合うように
形を変えなければならないだろう
時には悪い方に変える必要も出てくるだろう
 
しかも経験があると自然とそれを使おうとする
だが、それは怠慢というものだ
経験は創造性の対極にある
自分が正しいということをうまく説明できるとしたら
それはがんじがらめになっている証拠だ
時代とともに
そして人々とともに歩めなくなってしまっている
 
理にかなっていることは、退屈でもある
心が閉じていて
新しいアイデアに向かって開かれていないのだから
自分勝手な正しさにしがみつくのは
図々しいことだ
図々しさは役に立つ道具でもあるが
ごく控えめに使ってこそ価値がある
最悪なのは
理にかなっていると
道徳的な雰囲気が漂ってしまうことだ
理にかなっていない状況は弱く
何か間違った感じを与える
だから理にかなっている人たちは
間違っていると思われるのが嫌なのだ
結論
 
理にかなっている状態は
間違っている状態にあるということ
理にかなっている人たちは
過去にしがみ付いていて
頑なで
退屈で
独りよがりな人たちだ
 
彼らには何を言ってもしょうがない
 
今日もお読みいただきありがとうございます

日本人は感情を「操作」されている

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日本人は感情による「操作」を受けている
 
 
 
海外のジャーナリストは決まってこう言います
 
日本人は感情をかき乱されやすい
感情による「操作」を受けやすい
振り回されやすいと指摘されます
 
みんなが、良いよね
うん、良いよね
良いよ
と言われると
反論しずらい
と思いませんか?
 
一般論や
倫理に対して
固定観念が強すぎて
 
価値観を操作されやすい
 
複数の国や政府から
倫理操作を受けているのが
 
メディアを客観的に見ても
 
感じないのが逆に不思議
です
 
今日の国際社会では
 
倫理は武器にされているのです
 
決して面白がることは出来ません
これは悲しいことです
 
 
例えばヘイトスピーチって聞いたことありますか
 
民族や価値観の違う人たちの間で
相手の自尊心を傷つけることを目的とした
言葉やアクションのことです
 
傷つけて、その国から出て行けとか
言っています
 
相手が大切に思っている人であればあるほど
貶します
 
相手が触れられたく無いことほど
面白おかしく、笑いのネタにします
 
そして、この国から出て行けとか
言っています
世界中でやってます
 
 
血を流さない殺人です
 
でもちょっと考えて見ましょう
 
ヘイトスピーチをわざわざする人は
相手が本気で出ていくと思って
やっているんでしょうか?
 
これは、本当に相手を傷つけることを目的ではありますが
問題解決の為の
言葉や行動なのでしょうか
 
そして、ヘイトスピーチをしている
当の本人たちは
どんな得をするのでしょうか
 
そのような憎しみのアピールが
社会的アクションとして大きくなったら
多くの人が認知するようになったら
問題は解決するのでしょうか
 
答えを先に言うと
NOです
 
感情や正義感にとらわれると
問題はより複雑化します
 
鉄で出来たパーツを想像して見てください
ボルトとか、穴の空いた板とか
そう言った
その色々な形をしたパーツを組み合わせて
何かの形を作ろうとしている時に
強力な磁石を持ってくるのと同じです
 
それぞれの場所で
それぞれの目的を持って
問題解決をしている人たちが
違う力で別方向に引っ張られていきます
 
問題は解決から遠のきます
 
ヘイトスピーチは問題を先送りして
複雑化することで解決困難にすることで
言い方を変えると、注意を引きつけて
議論を巻き起こすことで
憎しみや感情を両国間の
溝や争いが激化することで
 
得をする人がいるからです
 
この際、誰が得をしているかは問いません
 
問題を引き起こす人はどういう人か
と聞かれると
 
ある問題解決が遅れたり、失敗することで
別の問題が解決する人です
 
 
良識のある人がヘイトスピーチを聞いて
どう感じるか
 
怒りです
 
武器を使わない紛争です
 
そして、共存する世界を壊す行為です
 
一人二人どころでは無い
子供達、そのあとの世代の命に関わります
 
ですから必死になって
正義感とか
民族の歩んできた歴史とか
人間の尊厳とか
国際協調の必要性などを解きます
 
それは、ヘイトスピーチをしている人の
思うツボです
 
倫理を持ち出して
「それだけで」
ヘイトスピーチをやめさせようとする考えは
 
ヘイトスピーチで相手を社会的に殺そうとする人が考えていることと同程度に
悲しくも馬鹿げています
 
価値観の違う人の書いた文章やTwitterを炎上させて
成敗した気分になっている人の心理です
 
この様に感情をコントロールされる僕達にとって
 
人を殺しては行けない
倫理では無いのです
 
何故ならば、人を殺しては行けない
が倫理であっても
人は救えないからです
 
人を殺しては行けないが
本当に倫理だったら
何故僕達は真剣に、
自分の命を掛けてまで
それを阻止しようとしています
 
決してニュースで他人事の様に
聞いてられないはずなのです
 
時代を超えて、
価値観を超えて通用するものでなければ
本当の倫理とは言えません
 
実際に人の命が軽く扱われている
いまこの世界
その世界観を
真剣に否定しようとする人は
とっても珍しいです
 
どこかで諦めています
 
諦められるものは倫理ではありません
 
 
では、何が本当の倫理か
それが仙人さんが出した今回の宿題です
 
 
仙人さんには国籍がありません
 
人生の時間に占める日本以外の国での生活が長くて
僕達には考えもつかない世界でビジネスを成功させてきた人ですが
 
話を聞いていると
 
ああ、この人は日本人では無いな
とよく感じます
 
そんな仙人さんからは
鋭い指摘がもらえるので
それだけでも価値を感じています
 
仙人さんは問題解決の鬼です
 
 
私ならばこう答えます
倫理とは
 
感情と思考と行動と価値が一致して初めて成立します
 
経済学において人生の目的と経済が一致していることが前提であるのと同様に
 
問題解決に向かって自分自身に嘘がないことです
 
そんな世界観は
感情を操作されている主体には永遠に現れません
 
願望のバイアスを取り払って
冷静に一つ一つの出来事を見ると
 
犯罪とは社会問題ではなくて
単純な錯誤であると言えます
 
錯誤ではない真の問題解決とは何でしょうか
それは、まず僕達がどうやって感情を操作されているかを
知ることから始まります
 

自分自身で納得できない部分を
変えたいと思っている人ほど
実際には変われないのは
自分の変わりたい願望に囚われているからです

感情に囚われている問題は解決しません

 
 
今日もお読みいただきありがとうございます
 

 

視覚障害者がスカウターをつけたら・・

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視覚障害者がかけるべきメガネ

 
視覚障害者がかけるべきメガネが
注目を集めています
 
スマートフォンとメガネに取り付けられたレンズ
がアプリでリンクしています
 
目の前の情報がわからなくて困っている人の
位置情報や画像が
 
 
エージェントに送られます
 
エージェントはメガネに取り付けられた
120度の広角レンズから
装着している人の視覚情報を入手して
現状把握します
 
そしてイヤホンで的確なアクションを取れる様に
必要な情報を伝えます
 
ナビゲートします
 
そのレンズからは感覚的な視覚的な情報だけではなく
 
客観的な計量的数値も表示されるからです
 
 
ですから、エージェントはボタンが
クライアントの手の位置から何センチ下なのか
ということまでわかります
 
指示が的確に出来るのは
視覚情報をAIによって画像認識させているからです
 
 
将来的には看板があったら、看板の文字を自動探索、
読み上げ
薬の瓶を探知したら、薬の名前、服用量などを
ロックオンしてくれる機能も
期待できるそうです
 
 
これらのことが月額89ドルで
100分間のサービスを受けられます
 
利用時間を増やしたければ
もっとお得なパックもある様です
 
使用者はこういっています
「目が見えなくなってから今まで、
過去にこれほど自立できることへの自信を感じたことは無かった」
 
こういったことは、
家族にしか頼めませんでした
 
ボランティアの助力を待つことしか
出来ませんでした
 
彼らが家庭で出来ることは増えます
 
自分で薬を選んで服用できます
洗濯機から誰の服なのかを分けて取り出せます
 
もっと手の込んだ料理が作れます
子供に本を読み聞かせることも出来ます
 
学校で出来ることも増えます
 
大学に通学すること
空いている椅子を探して座ること
おしゃれな服を選ぶこと
カフェテリアでメニューを選ぶこと
黒板に書かれていることを知ること
図書室で自習室に入ること
 
仕事でできることも増えます
エレベーターの場所を探すこと
プレゼンテーションのスライドを通訳すること
オフィスの調度品の配置を変えること
メールのやり取りや書類管理など
 
 
視覚に障害のある人が
一人で街に出るのは大変です
 
日本では仕事の能力や、才能、やる気があっても
通勤の問題で雇用を拒否されます
 
家族や行政のトレーナーなどの支援で
道を覚えるという大変な努力をします
 
身の危険を感じつつ、
前に進むという恐怖を味わいながら
一歩一歩を開拓するのです
慣れ親しんだ道にするのです
 
でも、そんな努力や自信を一発で消しとばしてしまうのが
心無い駐輪注射だったりします
 
いつも通っている道でも
道路工事などがあるとパニックになります
 
いつでも落下や転倒の恐怖を抱えながら
往来の車の音を注意深く聞き
足裏の点字版に感覚を集中しています
でも、街中には
家庭と違って
サポートをしやすい環境は
人にも設備にも
望めません
 
彼らが自信を失うだけの
ノーに満ちています
 
障害者が一番恐れていることは
人に迷惑をかけることです
 
それらの問題点を
大学の研究室、障害者基金、大手の電話会社AT&T
そしてAIra
共同で取り組むことで可能にしつつあります
 
視覚障害のある人に
全盲弱視の子供達に
家庭の事情があっても、学校に通ってもらうプログラムを
共同で取り組んでいます
100人分はAT &Tで出資するそうですが
300人まで増やしたいといっています
一人当たり1500ドルで
就学が可能だそうです
 
現在進行形で
クラウドファンドしてます
 
優秀な人材として
障害のある方が社会に参加してくれます
 
商品を作って終わりではなく
 
Ariaそのものを駆使して出来ることを
人生として提案します
商品そのものが人生提案です
 
使用者のインターフェースだけではなく
社会との関わりを変えるという視点で
 
社会全体に希望を与えてくれるプロダクトです
こういった社会の推進力を与えるスキルを
発見し、提供するマネジメント力とコピーの力を
僕たちも強く持ちたいと思います
 
今日もお読みいただき有難うございます